「そしてバトンは渡された」が再注目なので視聴。小説くらいの面白さ。

作品レビュー
書いた人
zenzen

1994年北海道出身の30歳。現在は福岡に住んでいます。
美容、IT系の仕事をしておりますので会社員の傍らですが私がしてきた生活の知恵や、使っているものの紹介等をしております。
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(画像はワーナー・ブラザーズ公式HPから)

超とっく前の映画ではあるんだけど、ちょっと前から永野芽郁(ながの めい)と田中圭(たなか けい)の不倫報道がX(旧Twitter)ですごい注目されていてこの映画が馴れ初めのきっかけとなるそうで、再注目されている。

ぜひみんなも見て欲しい

ポスターでキャストは全員把握済みで、田中圭演じる東大卒の森宮さんには「もう少し地味なイメージが欲しかったな」と思いつつも、総じてハマっている配役だと思う。

実はこの映画の原作小説は見たことがあったが映画は未視聴だったのでこの機会に試聴して感想を書き留めていこうと思う。

ちなみに広末涼子も釈放のタイミングで再放送できないドラマである「聖者の行進」をレビューしているのでこちらもぜひ


“バトン”との出会いはお客さんのおばちゃんから

私がこの作品の小説を見るきっかけは関西で美容師をしていた頃、お客さんのおばちゃんから「これ、面白いよ。感動したわ。」と原作小説「そしてバトンは渡された」をに受け取ったことがきっかけ。おすすめされていなければ見ることはなかったと思う。(あまり興味がなかったので)

しかも、読み終わった後に返すつもりが「私、もう読んだしあげるわ!」と、まさに“バトン”はそのまま渡されてしまって、今は家に眠っている。

簡単なあらすじ

実母がいなくなってしまった幼い頃から何度も家族が変わる中で育った優子。(映画では永野芽郁)、それでも“バトン”のように受け継がれる愛や言葉を胸に成長していくストーリーになっている。

  • さまざまな親から受け取った言葉や愛情が、優子の中で大切なバトンに
  • 高校生になった優子は、過去を振り返りながら本当の“家族”の意味を見つける
  • クライマックスでは、優子が大切な人たちの絆を胸に前を向く感動シーン

など、血の繋がらない親子の愛情や、家族の絆、人生のバトンを繋いでいくことの重要性がテーマになっている話。

小説を見た時の感想

女性作家らしいキャラクター描写はあるものの、男性キャラの心情がいまいち掴めず。「お金と優しさを振りまくだけ」に用意された役割を果たすだけのキャラクター設定。
小説を見ていてもこの小説に出てくる男性は何も考えていないのかな?という印象でアホっぽい。

ただ、梨花(映画では石原さとみが演じる)のような女性は結構ありうるイメージ。
こーゆー女性、確かにいるよな。とか思いながらギリギリありえない話とも言えないか…?みたいな感触。

小説の段階から正直私には刺さっていなかった。ある意味女性の夢というか理想みたいな話だなと。

『自分勝手な大人たちに愛されながら振り回されている」けど、案外どうにかなりました!みなさんどーもです!みたいな話。

映画を観て感じたモヤモヤポイント

6年前に読んだ原作小説の記憶を頼りに映画版を視聴。
こんな話だっただろうか…と首を傾げる展開が多くびっくりした。

主人公である優子は別に何もしていないのに同級生から「男好き」のレッテルが貼られていて学校に馴染めていない。お前は何をしたんだ。

時系列も過去と現在がゴチャ混ぜになる構成になっていて「何かしらのミスリードなのか?」と思っていたが特に何もなかった。
まぁ小説を読んでいればなんとなくの流れはわかってしまっているので、あまりミスリードには乗れなかったんだけど…

映画「半分の月がのぼる空」くらい原作小説を知っていても、知らなくても驚くようなミスリードを用意しているのかと思っていたので本当に拍子抜けした。何がしたかった。

あと、梨花(石原さとみ)が最後によくわからないタイミングで死亡する。これも
小説ってこんな流れだったかな。うーんと悩んだ。「こいつ死ぬんだっけ…しかもこんな急に…どうだったかな…」とちょっと困ってしまった。

原作との改変ポイント

こんな感じの小説だっけ…ってすごく思ったんだけど、調べてみると小説ではこんな感じじゃなかった。


泉ヶ原さん(ピアノ目的で梨花が交際)は普通に優子に梨花の所在を教えていて、優子は生きている梨花に、ちゃんと会えていた。

そうだよな。「私ったら本当の母親じゃないのに…」みたいな感じで病気を隠しながらフェードアウトする梨花が死んですぐに死を教えるの変だよね。

「水臭いよ!梨花さんは私にとって本当のお母さんなんだよ?」みたいなやりとりもない。
死んでいるので。

わからない感動ポイント

異なる家族環境での成長:優子が、父親、母親、継母、そして様々な養父母と過ごす中で、それぞれの家族に愛され、支えられる様子

家族の絆:優子が、それぞれの家族の中で心の支えとなり、家族の絆が深まっていく様子

優子の成長:優子が、様々な困難を乗り越え、自立。

感動するとしたらこの辺でグッとくるような演出が盛り込まれていたりするのかと思いきやそんなことはない。

最後20分くらいでみんなから愛されていたんだよ。みたいなシーンはあるんだけどそのシーンと同時くらいに梨花の死亡を伝えられていて、なぜこのタイミングで梨花の死を伝えたんだろうと疑問の方が強い。

それぞれの家族の絆が深まっていく様子もあまりなくて、描写的に優子がちゃんと家族と認識していたのは実父と田中圭の役くらいで、田中圭ともなんとも言えない距離感。
最後は梨花の異変に気づかなかったくせにみたいな悪態までついてくる。

ちなみに優子は成長していない。めっちゃ温室育ちで「いつか飲食店してぇな〜」とか思いながらとりあえず結婚したい。この時二人ともバイトで東大卒の田中圭の役から1500万円もらえてしまう。いいなぁ。

よくない「どんでん返し」

なぜこんな映画になったんだろうと自分なりに考えたんだが、おそらくこの監督は
「どんでん返し」をしたいがために作品を練り直していて、よくわからない映画になってしまっている。


そのため、自由奔放な「魔性の女」である梨花が、お金のありそうないろんなと男たちを次々手玉に取って、渡り歩いていく様子が映し出されていて
「男を利用する女」に見えるから、優子も森宮さんも「そういう人」だと解釈していて、突然消えても当たり前のような空気感。

でも!でも!!


ところが実は!というどんでん返しで、梨花は優子を深く愛していて、男を次々変えて行ったのも優子のためだった!という感じ。

「みぃたん」と「優子」が別人のように作中描かれているのも、この「どんでん返し」を求めた結果だとは思うがここはどうなんだろう。
小説を知らない人は「えぇ!?ミィちゃんって永野芽郁の過去なんだ!?」みたいに思えたんだろうか。小説を読んでいる勢は絶対引っ掛からないので。とっくに、とっく、超とっくにわかっていた。


「実父からの手紙を隠してしまっていたのも愛のせいなの…」というくだり。
これも小説なかったよな。とか思ってたら、小説でもこうだったらしい。
ひどいよ梨花さん。


これで感動できるならニューシネマパラダイスの完全版でも問題なく感動できるだろう。

だが、小説で感動できている人は映画でも割と感動できているようなレビューが多いので
本当に向き不向きが大きく左右されるのかも。

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