先日書いたPSVitaについての記事が意外と読まれていたので、Vitaに需要があるのか、ゲームに需要があるのか判断がつかず、ゲーム機から少しずらして好きだったゲームのファイナルファンタジーシリーズ(以下FF)について書き留めてみようと思う。
Vitaについても良ければぜひ読んでほしい。
私は、世代で言えば『FF10〜13』がリアルタイム世代になる年齢だが、初めてプレイしたファイナルファンタジーは親父からもらった『FF8』だった。
小学生の頃に出会い、あまりの難しさに序盤で詰んでしまったが、その記憶は鮮烈でキスティス先生を初めてみた時は本物の外国の人なんだと思った。
中学生になってからクリアできたんだけど今でも8はダウンロードでリマスターを購入して攻略本も残してある。そこからFF熱が高まり、気がつけば『FF5〜13』まで一通りプレイし、全てクリアしてきた。
『FF13』が発売された時の空気感もはっきりと覚えているし、あの時代にプレイしていたからこそ感じる“異変”のようなものがあった。
結論から言うと、個人的には『FF13』以降、FFシリーズはその立場を失っていったように思う。ただし誤解しないでほしいのは、決して『FF13』自体が悪いわけではないということ。
というか逆に最後にファイナルファンタジーしていたFFのナンバリングは無印13なのではないかと感じる。
入りにくくなってしまったFFシリーズ

若いゲーマーにとって、FFは非常に“入りにくいシリーズ”になってしまった。これは時代の変化もある。日本のRPG(JRPG)は、海外でも一時の人気ほどではなく、全体として勢いを失っている。
加えて、ドラクエのようにシリーズ通して戦闘やUIが安定している作品と違い、FFはナンバリングごとにバトルシステムや世界観、魔法や召喚獣の立ち位置すらも大きく変わる。
そしてナンバリング同士でのストーリーの繋がりなどもない。
これにより、どこから始めたらいいのか分からないという声も多い。本当はどこから始めてもいいんだけど新規プレイヤーに優しくないのだ。
FF13の不評具合はスクエニ内でもかなり重く受け止められたようで、これ以降の「テコ入れ」が新規のユーザーに刺さっていない。
ホストっぽくないように、話がわかりづらくならないように、1本道にならないように、売れないJ RPGっぽくならないようにした結果、FF 15,16が生まれているようなイメージ。
「FF13のことは反省して作ってます!」というポーズでFF16まで続いてしまっている。
原因と言われる『FF13』が悪者扱いされた背景
『FF13』は発売当時、激しい批判にさらされた。
- 一本道のマップ構成(特に前半7章あたりまで)
- キャラごとに固定された召喚獣(まぁこれはいい)、自由度のない戦闘システム
- やたらと多い専門用語と、それを説明しないシナリオ
- 街の探索要素がほぼ無い
こういった要素が揃い、「FFらしくない」という声が爆発的に広がってしまった。
ただし、実際にプレイしてみると専門用語はそこまで難解でもないし、戦闘もパーティ構成によっては戦略的に楽しめる。一本道マップも中盤以降は広大なフィールドが登場する。
上の方にリンクを貼ってあるんだけどBGMだってめっちゃいい曲。
問題はあったが道理の通ったゲームではあったはず。
コクーンという未来都市では密集して、全てが管理されていたが下界であるパルシは神からの管理はない代わりに自然に立ち向かわなければならない。このタイミングで世界観がどっと広がるという作りになっている。
ゲームの戦闘システムや世界観は、FFシリーズ全体がナンバリングによって違うので答えがあるものではない。未来都市での冒険をそもそも「FFらしくない」と思う層も一定数いるだけなのではないだろうか。
つまり、ゲーム自体が全くダメだったわけではない。批判部分もわかるが解決方法がそうじゃない方に向かっていってしまっている。問題は、その後の続編・スピンオフの方向性にある。
『13-2』と『ライトニングリターンズ』が分かりにくくした
本来、FF13の批評を改善して評価を上げるチャンスだった『13-2』と『ライトニングリターンズ』は、さらに分かりづらい物語を追加してしまった。
FF13のラストからそのまま続くFF13-2のストーリーはこうだ
FF13のラストでライトニング達は目覚め、セラ達とも再会するラストだったが、FF13のエンディングの直後に「女神の門」が開いてしまい、混沌がヴァルハラに流れようとしてしまった。それを、死と混沌の女神エトロが食い止め、事態を収束させたが、エトロは力を使い果たし、眠りにつく。そこでその混沌に囚われ、ヴァルハラに流れ着いたライトニングがその女神エトロの代わりに女神の神殿の守護する「守護者」となった。
また、混沌の流出によって時空間が歪み、未来でパラドクスが発生。ライトニングはヴァルハラでエトロの代わりをしていることになったので、FF13のエンディングは無かったことに。
ライトニングは女神を守る軍神として、セラにモーグリを送って
ライトニングからセラを守るよう頼まれたノエルという青年もやってきて、
ノエルは「ライトニングはヴァルハラで生きている」とセラに告げる。
セラは、ノエルを信じてライトニングを探し、時を超える旅に出る。
???
あまりにヤバすぎる。「パルスとルシって単語がだめだったんだな」くらいの反省しかしていないのか。
マップの自由度は確かに増した。しかしストーリーは「え、なんでそうなるの?」と首をひねる展開が多く、CGもしょぼくなってしまい、結局「FF13は訳が分からないシリーズ」という印象が定着してしまった。
『FF15』と『FF16』の迷走

FF13シリーズへの反省を受けて作られた『FF15』は、また別の意味で問題作となった。キャラの魅力がない。これに尽きる。
仲良し男子4人旅という設定は新しい試みだったが、プレイヤーの心に刺さるキャラクターは少なかった。ストーリーも未完成感が強く、DLCで補完する構成になってしまっていた。
さらに『FF16』ではストーリー重視に振った結果、「そのストーリー自体が破綻している」とまで言われてしまう。
私は未プレイだが、SNSやレビューサイトを見る限り、ストーリーの盛り上がりに欠けるという声が非常に多い。(ゲーム自体は凡作扱いな感じ)
スピンオフ・ソシャゲ乱発の悪循環
その間にも『初代FFのボスの過去』を描くゲームや、『よく分からないスマホアプリ』が次々とリリースされる。
「とりあえずFFの名を使ってリリースすれば売れるだろう」という安易な戦略が見え隠れし、ブランドの価値を自ら下げているように感じてしまう。
ディシディアの衰退とキャラクター性の喪失

キャラゲーとして人気だった『ディシディア』シリーズも、キャラクターが薄くなった挙句にストーリーもよく分からなくなってしまったので衰退してしまう。
本来FFの魅力は、“キャラクターそのものの存在感”にあったはずだ。特に『FF7』のティファやエアリス、『FF10』のユウナ、『FF9』のジタンなど、強烈な個性を持ったキャラたちがプレイヤーの心を掴んできた。
FF13だってみんなのキャラは立っていた。あれが最後だったかもしれない。
まぁ、道中ちょっと仲悪そうではあったけど。
FF7リメイクに頼るしかない現状
現在、シリーズの命綱とも言えるのが『FF7 リメイク』シリーズだ。
これは確かに売れている。だが、これは『FF7』が人気だからであって、現在のFFが新規ユーザーを取り込めているかというと疑問が残る。
さらに、正史として『ダージュ オブ ケルベロス』という物語が残っている。(以下DC)
これは『FF7』の正統な続編としてGACKT演じるキャラクターがラストに半裸で実写登場するが、そのまま20年放置されている状態だ。
一応、現在2作目までリリースされているFF7リメイクではジェネシスやアンジール等が出て来なくても、設定としては存在すると思われる。 FF7リバースの展開から見てもこのまま丸め込んで、全てなかったことにするかもしれない。何しろ開発スタッフがCC、7本編、DCがうまく繋がったと納得、自画自賛しているようだ。
果たしてこのストーリーはどう回収されるのか?というファンの不安も残っている。
FFが再び愛されるためには

私自身、FFという作品が好きだし、復活してほしいと本気で思っている。
『FF7リメイク』で注目されたのは元々人気というのもあるが、やはりティファやエアリスの可愛さだった。つまり、FFが持っていた魅力は「キャラクター」だったのだ。
やっぱり天真爛漫なキャラがいたり、無口な奴がいたり、人外キャラがいたり、そーゆーの含めて「ファンタジー」なんだと思うのよ。
試しに、ペルソナシリーズのようにキャラ人気を軸にした作品を思い浮かべてほしい。もしペルソナ5の次が、暗くておっさんばかりの話だったら…誰もついていけないだろう。
キャラクターに魅力がなければ、話も追えず、続編に興味も持たれない。
FFがもう一度、世界に愛されるゲームシリーズになるためには──
- 世界観を魅力的に
- 物語を分かりやすく丁寧に
- そしてなにより、キャラクターに魂を宿すこと
これが必要なのではないかと、私は思う。
そしてFF8もリメイクして無印FF13のリマスターかなんかを出すように。お願いスクエニさん。
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