(アイキャッチ画像はテアトルシネマグループ公式HPから)
今回紹介するのは、小説と映画の両方が存在する作品『ふがいない僕は空を見た』。私にとってこの作品は「面白い!」と手放しに絶賛する大名作って感じじゃないんだけど、今でもふとした瞬間に思い出してしまう。それくらい印象が強く、心に引っかかる作品だった。
最初に話しておきたいのは私は母子家庭で育ち、美容師という仕事柄女性と話したり接点を持つことが多かった、ということ。
だからこそ、女性の持つ価値観や見せ方をよく知ることのできた作品の一つだったと思っている。
まずは小説から──“ふがいない”人々が交差する、連作短編
原作は窪美澄さんによる連作短編小説。全5編で構成されており、それぞれが登場人物の異なる視点で描かれている。タイトルの「ふがいない」は、作品に登場する人々の“どうしようもなさ”や“弱さ”を象徴する言葉だと思う。(収録作の1編「ミクマリ」が第8回R-18文学賞となっている)
1. ミクマリ
高校生の男子・主人公が、不倫相手の主婦・あんずと関係を持つという物語。しかもコスプレを交えた性行為というセンセーショナルな設定から始まる。物語が進むと彼には同級生の彼女ができ、あんずと距離を置くが──という流れ。
2. 世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸
あんずの過去が語られる。高校時代のいじめ、安易な大学進学、友人との肉体関係を経て、不妊となってしまった背景。こういった“過去の積み重ね”が、今の彼女を作っていることが見えてくる。
3. 2035年のオーガズム
あんずの不倫相手の本命彼女・七菜にスポットが当たる。優秀な兄がカルト宗教にハマり、家庭崩壊。その彼氏(主人公)は性的スキャンダルで引きこもり──。大雨で全てが流されそうになる中、彼女たちの関係にも変化が起こる。
4. セイタカアワダチソウの空
七菜の友人と、主人公の友人の2人を軸としたエピソード。家庭環境が非常に厳しく、祖母を養う貧困のリアルが描かれる。まさに“底辺”と表現できるような状況だが、そこにもしっかりと人間ドラマがある。
5. 花粉・受粉
主人公の母親である助産婦が主人公の問題をどう受け止めているかが語られる。この章があることで、全体のテーマが「性」「生」としてまとまり、読後に静かな余韻が残る。
読後の印象
この作品、小説と映画の両方が存在するけど、個人的にはまず小説から入ってほしい。
というのも、自分は先に小説を読んでいたけど、当時は「共感できるか」と言われるとちょっと微妙だった。
特に男性読者からすると、女性の“情念”やリアルな葛藤が丁寧に描かれているぶん、「わかる」とは言いづらい部分が多い。
でも、その“わからなさ”ごと受け止めると、この作品の魅力がじわじわ沁みてくる。
ちなみに読んだ理由はさっぱり覚えていない。なんでだろう。
映画版を観た理由──女性作家×女性監督という組み合わせ
「百万円と苦虫女」の監督がこの作品も監督されるというのがいちばんのきっかけなんだけど
この映画を観た理由のひとつは、原作・窪美澄さん、監督・タナダユキさん、どちらも女性だったという点。
私自身、当時はまだ女性作家や女性映画監督の作品に触れる機会が少なくて、
「女性が描いた物語を、女性が映像化するってどんな感じなんだろう?それってすごい女性的なんじゃないん?」みたいな純粋な興味があった。
ちょうど社会人1年目くらいの時だったと思う。
小説の空気が、どんな風に映画になるのか想像がつかなかったぶん、
社会人1年目くらいだった当時、何気なく観た映画だったが、観終わったあとに「おぉ、こういう感じになるんだ…!」と驚きと少しの感動があったのを覚えている。
どちらもHuluで視聴できる。(Amazonプライム、U-NEXTもある)
この作品をきっかけに、「朝が来る」(監督:河瀬直美)や「かもめ食堂」(監督:荻上直子)といった、
同じく女性監督の作品にも興味が広がっていった。
映画の良さ
SEX描写の解釈が新鮮
この映画、R15指定がついていて、
メディアでもどうしても「濡れ場がすごい」みたいな語られ方がされがちなんだけど
実際の描写はめちゃくちゃ生々しい。
でもそれはいやらしさじゃなくて、むしろ新鮮さとして伝わってきた。
主人公の高校生・卓巳と関係を持つあんずのシーンは、
どこかキラキラしていて、画面が明るい。
彼女が「自分だけの世界に浸っている」ような演出がされていて、
女性の“快楽”がきちんと画として描かれているのがすごく印象的だった。
まるで、“女性向けAV”ってこういう雰囲気なんじゃないか?と思った。(見た事はない)
小説だけを読んでいたときは、
・コスプレ
・不倫
・高校生を自宅に呼ぶ
という状況からもっと陰湿でこっそりしたイメージを持っていたけど、
映像では全然違った。
逆に、夫とのSEXシーンは暗くて事務的。
こちらは「夫婦としての義務」や「無言のルーティン感」が漂っていて、
「女性から見たSEX」のコントラストがすごくよく表現されていたと思う。
永山絢斗さんの演技が“リアル”
主人公を演じる永山絢斗さんの演技は、“上手い”というより“自然”だった。でもだからこそ、この作品にフィットしていた。
例えば、作中で「妊娠」「出産」「ナプキン」といった、
女性の身体、性にまつわるリアルな言葉や描写が出てくる場面。
そういった場面で彼が見せる表情や仕草には、
「男としてそれをどう受け止めていいかわからない」
という、ちょっとした戸惑いがにじみ出ている。
生理や妊娠、出産といったテーマは、
多くの男性にとってまだ「遠いもの」で、どこか触れてはいけない気がしてしまう。
でも、そうした空気を正面からではなく、目の泳ぎや間の取り方で伝えてくる
そして、それに対峙する母親たちの存在も大きい。
エロの果てにある“出産”という現実に責任を持って向き合っている女性たち。
そのリアルの中で、彼の若さや曖昧さがより際立って見える。
時系列の編集が巧み
映画は小説と異なり、時系列を前後させることで印象的なシーンを際立たせていた。例えば、不倫の真っ只中の高校生が、家で無言になる場面と、母親が仕事を終えて静かに座る場面が交互に映されることで、世代を越えた“生きづらさ”がつながって見えてくる。
読むタイミング、観るタイミングで変わる印象

『ふがいない僕は空を見た』は、「性と生」「ふがいなさ」「やるせなさ」を描いた作品。読む人、観る人の年齢や性別、状況によって、まったく違う印象を与える。私は最初に読んだときピンと来なかったが、映画を観たことで世界が少し繋がった気がした。
エロい話、ではあるけど、
でもそれだけじゃなくて、
何かに依存してしまう弱さ、誰かに救われたくなる気持ち、
自分の意思ではどうしようもない“孤独”。
そういう“ダメなところ”をそのまま見せつけられるような感覚だった。
中学生、高校生では共感しきれないかもしれない。でも、何かを経験したあとに読み返すと、「ああ、あの時のモヤモヤってこういうことだったのか」と気づける、そんな“後から効いてくる”作品なのかも。
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