「北海道民は冷たい」ネットを見ていると、たまにそんな言葉を目にする。
俺自身、北海道の田舎で育っているし、以前このブログでも北海道のいじめについて書いた。
じゃあ実際、北海道民は冷たいのか。
俺は、北海道の人間関係って良くも悪くもドライだと思っている。
あまり他人に踏み込まない。
必要以上に干渉もしない。
それが合う人にとっては、かなり住みやすい土地なのかもしれない。
ただし。
俺が育ったような田舎になると、話は少し変わる。
普段はドライなのに、内輪の人間関係だけ妙にウェットになる。
この二つが同時に存在していた。
そして今振り返ると、このアンバランスさが「北海道の人間関係ってちょっと独特だな」と感じる理由なのかもしれない。
※もちろん、これは北海道民全体の性格を断定する記事ではない。
俺が北海道の田舎で育って感じたことを中心に書いている。
札幌などの都市部については、俺自身長く住んだ経験がないので分けて考えたい。
北海道民は、基本的に他人へ踏み込まない
俺の感覚では、北海道の人は全体的にドライだ。
もちろん親切じゃない、という意味ではない。
困っている人がいれば助けるし、外から来た人を排除するような感じでもない。
ただ、必要以上に人の事情へ首を突っ込まない。
この感じはある。
以前、転勤で北海道にも住んだ経験がある人と話したことがある。
その人も、「北海道は人があまり踏み込んでこないから楽だった」というようなことを言っていた。
本人にとっては、それがかなり快適だったらしい。
たしかに考えてみれば、
「最近何してるの?」
「いつ地元に帰ってくるの?」
「なんで結婚しないの?」
みたいなことを、延々聞かれるタイプの土地ではない気がする。
少なくとも俺の場合、地元を出てから同級生から頻繁に連絡が来ることもない。
こっちから連絡しなければ、基本、誰も何も聞いてこない。
これは正直、楽だ。
外から来た人には声をかける。でも「内側」に入るのは別
転校生や外から来た人間に冷たいかと言われると、そうでもない。
むしろ田舎なので珍しがって声はかける。
「どこから来たの?」
「前はどこに住んでたの?」
みたいな感じで、最初は結構みんな寄ってくる。
ただ、本当にそのコミュニティの中へ入るには時間がかかる。
俺の感覚だと、友達になるだけじゃなく、親にも顔を覚えられてこそ。
みたいなところがあった。
田舎では友達だけじゃなく、その親、兄弟、場合によっては親の職場までつながっている。
誰が誰の家の子なのか。
兄貴は何歳なのか。
親はどこで働いているのか。
そんなのは、わざわざ聞かなくてもなんとなく分かっていた。
当時は当たり前すぎて何とも思っていなかった。
でも今考えると、結構すごい。
小学校から社会人まで、人間関係がなかなか終わらない
俺が住んでいたような田舎では、小学校からほぼ同じメンバーで進学する。
中学へ行っても同じ。
高校も近い地域。
そして卒業後、同級生同士で同じ工場に入っている
みたいなことも普通にあった。
親の知り合い経由で仕事につながることもあったと思うし、転職しても知っている人がいる。
つまり、学校を卒業したから人間関係がリセットされるわけじゃない。
学校の人間関係が、そのまま地元の人間関係になっていく。
これは輪の中にいる本人たちも、たぶん分かっていたと思う。
だからこそ、地元を出るのって結構怖い。
友達を一人失うとか、学校を一つ変えるとか、そういう話じゃない。
今までの生活圏そのものから出ることになる。
田舎は悪い意味で「猿山」になることがある
ここからはいじめの話にも少しつながる。
俺がこれまで見てきた、あるいは経験したいじめには共通点があった。
だいたい、声の大きいリーダー格がいる。
悪い意味で、猿山みたいなものだ。
その人間が、「あいつ嫌い」
と言えば、周りも距離を取る。
誰かをからかえば、周りも笑う。
逆にそのリーダー格が別の人間へ興味を移せば、標的も変わる。
ここで重要なのは、周り全員が強い悪意を持っているわけではないということだと思う。
むしろ、「まああいつがそう言ってるなら」くらい。
そこまで深く考えていない。
俺は、ここにも北海道的なドライさが少し関係している気がする。
他人に踏み込まない。
人の問題に積極的に首を突っ込まない。
それ自体は悪いことではない。
でも集団の空気が悪くなったとき、「俺には関係ないし」が、そのまま傍観につながることがある。
そして田舎は狭い。
逆らって自分が次の標的になるくらいなら、空気に合わせる。
結果、声の大きい人間の意見だけが通りやすくなる。
これは以前書いた「北海道のいじめ」の話とも重なる部分がある。
北海道民がドライだからいじめが起きると言いたいわけではない。
そこは全く別の話だ。
俺が言いたいのは、
閉じた集団の中で、声の大きい人間が空気を握りやすい。
そこへ周囲の「深入りしない」が重なると、止める人間も出にくい。
ということ。
正面から言うより、距離を置いて内輪で共有する
これも俺の周りでは結構あった。
少なくとも男同士だと、真正面から、「お前のここが嫌い」と話し合うより、
距離を置く。
別の友達に話す。
グループ内で共有する。
みたいな形の方が多かった気がする。
本人には言わない。
でも内輪ではみんな知っている。
これも、外にはドライ、内側ではウェットという人間関係そのものだと思う。
ネットで言う「冷たい」という言葉は、もしかするとこの辺を見ているのかもしれない。
ただ、俺自身は「北海道民だから冷たい」とまでは思わない。
むしろ、正面衝突を避ける文化と、狭いコミュニティが合体するとそう見える
くらいの話なんじゃないかと思っている。
関西へ出て「もう会わない自由」に驚いた
俺は成人してから関西へ出た。
最初に感じたのは、結構な解放感だった。
極端な例を出す。
ナンパして断られたとする。
死ぬほど恥ずかしい。
でも、たぶんもうその人に会わない。
これ、すごくないか。
田舎にいた俺からすると、結構衝撃だった。
失敗しても、
翌日学校で会わない。
友達の友達でもない。
親も知らない。
職場も違う。
たぶん人生で二度と会わない。
都会には「失敗しても履歴が残らない自由」がある。
これが俺にはかなり新鮮だった。
田舎の場合、何かやらかすと、
「昨日○○がさ」みたいな話が次の日には回っていることもある。
別に悪意があるわけじゃない。
単純に、みんな同じ人間を知っているからだ。
これだけでも、人間関係の息苦しさはかなり違う。
地元を出ると、今度は驚くほど誰も追ってこない
ただ面白いのが、あれだけ濃かった人間関係も、地元を出ると急に薄くなる。
俺も北海道を離れてかなり経つ。
今となっては、地元ではもう死んだものだと思われているんじゃないか。
と思うくらい連絡を取らない。
もちろん冗談だけど。
SNSも、若い頃ほどみんな更新しない。
同級生が今何をしているのか、俺もほとんど知らない。
向こうも俺が何をしているのか知らないと思う。
「最近何してんの?」
「いつ帰ってくるの?」
みたいな連絡も、こっちから連絡しなければほぼ来ない。
そこで思う。
もしかすると、みんな仲がいいからずっと話していたんじゃなくて、近くにいたから話していただけなのかもしれない。
小学校から一緒。
住んでいる町も一緒。
職場も近い。
親も知っている。
だから関係が続いていた。
逆にその土地から出ると、驚くほどあっさり切れる。
ここにも北海道のドライさを感じる。
北海道民がドライというより、距離の取り方が極端なのかもしれない
他人にそこまで踏み込まない。
外から来た人には、その距離感が居心地よく感じることもある。
俺自身も、今となっては地元の人間からあれこれ連絡が来ないのは楽だ。
ただし田舎の内側に入ると、人間関係は一気に濃くなる。
親も知っている。
兄弟も知っている。
学校を卒業しても関係が続く。
そして狭い集団の中では、気の強い人間の声が通りやすい。
その空気に周りが乗る。
でも地元を出た瞬間、今度は驚くほど干渉されなくなる。
外にはドライ。
内輪ではウェット。
そして外に出れば、またドライ。
俺が北海道の田舎で感じてきた人間関係は、たぶんそんな感じだった。
「北海道民は陰湿」という一言では、ちょっと雑すぎる。
でも、なぜそう見える瞬間があるのか。
そこを考える材料くらいには、自分の経験も使えるんじゃないかと思っている。