(画像は「太陽を盗んだ男4Kデジタルリマスター」東宝公式HPより)
1979年公開の映画『太陽を盗んだ男』が、2026年10月16日から4Kデジタルリマスター版として劇場公開された。
俺はこの映画を何度も配観ている。
初めて観たきっかけはもうあまり覚えていないけど、たぶん「邦画 名作」みたいな検索をしていて見つけたんじゃないかな。
それから何度か観返している、お気に入りの一本だ。
ただ、最初に言っておくと、俺はこの映画を誰にでもおすすめできる大名作だとは思っていない。
147分もあるし、登場人物の行動は無茶苦茶。
今の映画のような心理描写や伏線回収を期待すると、理解できない部分も多いと思う。
でも、この映画には1979年の東京が映っている。
まだまだ元気だった日本の街並み、当時のファッション、奇妙なSF映画のような映像。そして全盛期の沢田研二と菅原文太。
何より、原爆を自作する教師なんていうとんでもない題材を、これほど大胆な娯楽映画にしてしまった。
映画の物語だけでなく、当時の日本そのものを楽しむ。
俺にとって『太陽を盗んだ男』は、そういう作品でもある。
今回は4Kリマスター公開をきっかけに、何度も観てきたこの映画の魅力について書いてみたい。
※この記事は1979年公開作品を配信で鑑賞した感想です。
2026年公開の4Kリマスター版そのものの画質・音質をレビューしたものではありません。
『太陽を盗んだ男』はどんな映画?
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 公開日 | 1979年10月6日 |
| 監督 | 長谷川和彦 |
| 原案 | レナード・シュレイダー |
| 脚本 | レナード・シュレイダー、長谷川和彦 |
| 出演 | 沢田研二、菅原文太、池上季実子 ほか |
| 音楽 | 井上堯之 |
| 上映時間 | 147分 |
| 4Kリマスター公開 | 2026年10月16日 |
主人公は、沢田研二演じる中学校の理科教師・城戸誠。
教師という仕事に大してやりがいも感じていないようで、日々をだるそうに過ごしている男だ。
そんな城戸が、原子力施設からプルトニウムを盗み、自宅のアパートで原子爆弾を作り始める。
そして本当に完成させてしまう。
城戸は自らを「9番」と名乗り、原爆を武器に国家を脅迫。
交渉相手には、以前のバスジャック事件で出会った山下警部(菅原文太)を指名する。
そこで要求するのが、プロ野球のナイター中継を最後まで放送することや、ローリング・ストーンズの日本公演を実現すること。
いや、原爆まで作っておいてそれかよ。
そう思うんだけど、この要求の小ささこそ、映画の大きな魅力になっている。
原爆を作るだけの知識も行動力もある男が、それを手に入れたあとで何をしたいのか分からない。
そんな妙な主人公を中心に、映画はとんでもない方向へ転がっていく。
原案は『タクシードライバー』脚本家の兄だった
ちなみに、今回改めて調べて驚いたのが、原案を担当したレナード・シュレイダーという人物だ。
日本にも滞在していたアメリカ人脚本家で、『ザ・ヤクザ』や『男はつらいよ 寅次郎春の夢』にも関わっている。
しかも弟は、『タクシードライバー』の脚本で知られるポール・シュレイダー。
『太陽を盗んだ男』と『男はつらいよ』に関わっているというだけでも、なかなか不思議な経歴である。
長谷川監督の公開当時のインタビューによれば、「普通の男が原爆を作って国家を脅す」という企画をレナードが持ち込み、長谷川監督が主人公の被曝や山下警部との対決を加えていったという。
アメリカ人の発想と、日本の映画監督の大胆さが合わさって、こんな作品が生まれてしまったわけだ。
昔の日本映画は、今観ると理解できないことも多い
昔の邦画の名作というと、『七人の侍』や『砂の女』といった、もっと古い白黒映画が真っ先に挙がる気がする。
もちろん日本映画史に残る名作なんだろうけど、俺はあの時代の映画を観ていて、音声の聞き取りにくさが気になることもある。
それから、1970〜80年代あたりの邦画には、また別の難しさがあると思う。
今の映画ほど人物の行動にリアリティを求めていないというか、登場人物がやたら衝動的だったり、急に怒ったり、突然よく分からない行動に出たりする。
今観ると「なんでそうなるんだよ」と思う場面が結構ある。
別に、昔だから理解できないという話じゃない。
芝居や物語の作り方そのものに、今とは違う感覚があるんだと思う。
もちろん当時の映画が全部そうだったわけではないし、現代にも漫画的な映画はある。
ただ、そういう違いもあって、昔の映画だからといって誰もがすんなり楽しめるわけではない。
俺自身、この時代の作品に強い憧れがある一方で、最後まで観るのに結構体力を使う映画もある。
その点、『太陽を盗んだ男』は当時の作品としてはかなり観やすい部類だと思う。
カラー作品で、音楽もアクションも豊富。何より、沢田研二と菅原文太という強烈な二人が出ている。
147分という長さはあるけど、見せ場が次々にやってくるので、意外と退屈しない。
昔の映画に興味はあるけど、何から観ればいいか分からない。
そんな人に勧める一本としても、悪くないんじゃないだろうか。
ただし、細かい整合性や伏線回収を重視する人には、あまり向かないかもしれない。
1979年の東京が、ただただ格好いい
俺がこの映画を好きな理由の一つが、当時の東京の街並みだ。
建物、自動車、看板、道路、そこを歩く人々の服装。
何もかも今とは違う。
昭和を再現したドラマや映画ではなく、本物の1979年に撮影された映像なのだから、当然といえば当然なんだけど、そこがいい。
当時の日本には、今とは違う活気が感じられる。
実際にその時代を生きたわけではないから、もちろん良いところばかりだったとは思わない。
それでも、映像の中にある街の勢いや、今では見られない風景に憧れてしまう。
最近Instagramなんかを見ていると、海外の映画ファンらしきアカウントが、昔の日本映画の一場面を投稿していることがある。
『鉄男』『仮面ライダーZO』『時をかける少女』などの映像に、当時とは別の音楽を重ねて、ファッションや色彩、雰囲気を見せるような編集だ。
映画の物語を知らなくても、映像だけで妙に格好よく見える。
もちろん、短い切り抜きが人気になることと、映画全体が再評価されることは別の話だろう。
でも、昔の作品が当時とは違う見方で発見されているというのは面白い。
『太陽を盗んだ男』にも、まさにそういう魅力があると思う。
プルトニウムを盗む場面の、妙な『2001年宇宙の旅』感
特に好きなのが、城戸がプルトニウムを盗み出す場面。
施設内部の描写が妙に無機質で、近未来的で、どこか人工的なのだ。
個人的には『2001年宇宙の旅』を思い出すような、不思議な質感がある。
今の感覚で考えれば「原子力施設ってこんな感じなのか?」と疑問に思う部分もあるだろう。
でも、俺はああいう映像が好きだ。
かつて未来的なものとして表現された映像が、今ではレトロで美しいものに見える。
当時の映画人が作ったものだからこその味がある。
しかも、あんなSF映画みたいな場所からプルトニウムを盗んできた男が、その後は生活感のあるアパートで原爆を作っているのだから、何ともおかしい。
この落差もいいんだよね。
今の映画で同じ場面を撮影しても、きっとまったく違うものになるだろう。
昔の映画は、古さが欠点になることもある。でも、時間が経つことで、その古さ自体が魅力になることもある。
『太陽を盗んだ男』は、まさにそういう映画だと思う。
沢田研二と菅原文太。昭和の二つのイケメン像
そして、この映画の大きな魅力が主演の二人だ。
沢田研二と菅原文太。
名前は知っているけど、若い頃の二人を映画の中でじっくり観たことがない人もいるんじゃないだろうか。
俺も彼らの全盛期をリアルタイムで知っている世代ではない。
だから、昔のニュース映像や音楽番組の収録で見たことがあるスターが、映画の中で動き回っているというだけでも面白い。
しかも、この二人はまったく違う種類の格好よさを持っている。
菅原文太は、昔ながらの無骨な男
菅原文太は、いわゆる昔の日本的な男らしさを感じさせる俳優だ。
石原裕次郎や高倉健を思い浮かべるような、昭和の男性スターの系譜にいる。
もちろん三人とも魅力は違う。石原裕次郎には都会的な色気があるし、菅原文太にはもっと泥臭く、荒々しい雰囲気がある。
でも、いずれも現代の中性的な美しさとは違う、強さや存在感を感じさせるスターだと思う。
『太陽を盗んだ男』で山下警部を演じる菅原文太は、まさにその魅力が詰まっている。
無骨で、しつこくて、何が何でも城戸を捕まえようとする。
城戸とは対照的に、自分が何をするべきなのかを疑っていないように見える男だ。
沢田研二は、中性的な美しさを持ったスター
一方の沢田研二は、まったく違う。
長髪にサングラス、整った顔立ち、気だるい仕草。
どこか中性的な美しさがある。
今ならそれほど珍しくないかもしれないけど、当時の男性スターの中では、また別の種類の魅力だったんじゃないだろうか。
1960年代後半には、学生運動やロック、ヒッピー文化などと並行して、若い男性の長髪が広がっていった。
その後の西城秀樹や郷ひろみを見ても、男性スターの格好よさが、単なる無骨な男らしさだけではなくなっていたことが分かる。
例えば現代にも、LDH系のワイルドな格好よさと、K-POP系の美しさを追求する格好よさがある。
もちろん、沢田研二がK-POPの直接の源流だとか、西城秀樹がLDHにつながったという話ではない。
でも、男性がどういう姿を格好いいと感じるかという違いは、すでにあの時代にも存在していたんだと思う。
そして『太陽を盗んだ男』では、そんな新しい男性像を持つ沢田研二と、昔ながらの無骨さを持つ菅原文太が真正面からぶつかる。
映画の物語とは別に、これだけでも面白い。
見た目だけでなく、生き方まで対照的だった
ここで、二人の役柄も興味深い。
山下警部には守るべき秩序があり、仕事に人生を懸けている。
対する城戸誠は、原爆を作れるほど頭がいいのに、日常では何のやりがいもなさそうにしている。
長髪で新しい時代の男性像を感じさせる城戸には、明確な目的がない。
一方、無骨な山下には、守るべきものがある。
この対比を、単に刑事と犯人という関係だけで観るのはもったいない気がする。
海外の映画誌『Film Comment』でも、この二人を、異なる世代のスター同士の衝突として論じている。
実際、公開当時の長谷川監督も、山下と城戸の関係には父と息子のような構図を意識していたと語っている。
そう考えると、二人の見た目や振る舞いの違いまで、1979年という時代を表しているように見えてくる。
『太陽を盗んだ男』は今どこで配信している?
※2026年10月18日時点の確認情報です。
| 動画配信サービス | 配信状況 |
|---|---|
| U-NEXT | 見放題配信中 |
| Apple TV Store | 作品ページあり。レンタル・購入の掲載情報あり |
| Netflix | 日本では配信なし |
| Amazon Prime Video | 現在の視聴可否を確認できず |
現在、公式作品ページで見放題を確認できたのはU-NEXTだ。
現在の配信状況は各動画配信サービスでご確認ください。
※配信状況は変更される場合があります。
U-NEXTの月額料金は2,189円(税込)。初回利用者向けには31日間の無料トライアルも案内されているが、対象条件や最新の料金は公式サイトで確認してほしい。
なお、こちらの配信版は今回劇場公開された4Kリマスター版と同じではない。
2026年の4Kリマスターでは音声も修復されている
2026年10月16日から劇場公開されている4Kデジタルリマスター版では、映像だけでなく音声も修復されている。
公式によれば、当時の35mmフィルムの音声素材をデジタル化し、1979年公開時のモノラル音声を再現する方針で作業が行われたという。
昔の邦画は音声が聞き取りにくいと感じることもあるので、個人的には映像以上にこの部分が気になる。
ただし、俺は今回の4K版を劇場で観ていないので、実際にどのくらい聞き取りやすくなったのかまでは分からない。
また、上映に4Kの素材が使われていても、劇場の設備によっては2Kで投影される場合があるそうだ。
もう一つ気になっているのが、公開当時のパンフレットを再現した復刻版。

2026年10月16日に発売され、価格は税込1,100円。A4判20ページとのこと。
映画は何度も観ているので、今度は当時のパンフレットを読んでみたい気持ちもある。
ここから先は結末を含むネタバレがあります。
【ネタバレ】城戸誠は、どうしようもない男だ。でも好きだ
俺は城戸誠という主人公が好きだ。
ただし、彼の行動を肯定したいわけではない。
自分勝手だし、他人を巻き込みすぎるし、やっていることは普通に犯罪である。
それでも、なんとなく気持ちは分かってしまう。
特に好きなのは、普段の気だるそうな仕草。
教師の仕事にやりがいを感じている様子もなく、あくびをしたり、何にも興味がなさそうに振る舞ったりしている。
ところが原爆を作り始めると、ものすごい集中力と行動力を見せる。
そして完成させてしまう。
ここまですごいことができる男なら、他に何かやりたいことはなかったのかと思う。
でも、たぶんそれがなかったんだろう。
城戸の、でしゃばりなところが好き
もう一つ、城戸の好きなところがある。
妙にでしゃばりなのだ。
ラジオで相手をしてもらえると思ったら、自分から近くまで行ってしまう。
普段はだるそうにしているくせに、自分が何かできる場面になると、急に積極的になる。
あの感じが好きなんだよね。
だからといって、城戸が「誰かに構ってほしかった男」だったと断定するつもりはない。
なぜ原爆を作るほどの行動に出たのか、作品の中では明確に説明されないからだ。
でも、そもそもこの映画は、城戸の心理を一つずつ説明する映画ではないんだと思う。
誰にでも、今あるものが全部なくなってもいいような、どうせ終わるなら一度くらいめちゃくちゃにしてみたいような、そんな衝動が一瞬よぎることはあるんじゃないだろうか。
もちろん、実際にやっていいわけではない。
けれど城戸は、それを本当にやってしまう。
そこが恐ろしくもあり、どこか格好よくも見えてしまうのである。
監督自身が語っていた「要求のない時代」
今回、1979年の『キネマ旬報』に掲載された長谷川和彦監督のインタビューを読んで、かなり腑に落ちた部分がある。
監督によれば、原爆を作った主人公が政府に何を要求するのか、製作側も長い間考えていたそうだ。
でも、金以外にこれといった要求が思いつかなかった。
だから、城戸がラジオのDJ・零子にアイデアを求める展開が生まれたという。
監督はこれを「要求のない時代」と捉えていた。
これが興味深い。
城戸だけが何をしたいのか分からなかったのではなく、映画を作っていた側も、原爆というとんでもない力を手にしたら何を望むべきなのか、答えを持っていなかったわけだ。
原爆を作れるほどの能力があるのに、その力を使って叶えたい願いがない。
なんとも奇妙な話である。
でも、だからこそ俺は城戸誠という男が好きなんだと思う。
彼の行動に立派な思想や明確な目的を与えなくても、なんとなく理解できてしまう部分がある。
それで十分なんじゃないだろうか。
零子はかわいそう。でも、相当アホだと思う
そしてヒロインの零子。
俺は彼女が死んでしまうことについては、素直にかわいそうだと思う。
直接的には逃走中の事故に巻き込まれる形になるけど、そもそも原因を作ったのは城戸である。
そこは城戸が悪い。
ただ、それはそれとして、零子もなかなかどうかしている。
山下警部から城戸の正体について、ある程度の事情を聞いていたはずなのに、あんなデカいサングラスをかけたロン毛の男に自分からついて行ってしまう。
いや、危なすぎるだろ。
もちろん彼女なりに城戸に惹かれるものがあったんだろうし、あの男の妙な魅力は俺にも分かる。
でも、分かるからこそ余計に、ちょっと待てよと思ってしまう。
この映画は、登場人物の判断がいつも自然で、納得できるように描かれている作品ではない。
ただ、俺はそれを含めて観てしまう。
城戸も零子も理解できないことをする。でも、だからといって嫌いにはなれない。
何とも不思議な映画だ。
城戸と山下は、世代や価値観の違いを描いているのかもしれない
これは海外の批評を読んでいて、自分もそう思っていたと感じた部分だ。
物語の冒頭に登場するバスジャック犯の老人は、天皇に訴えたいという明確な要求を持っている。
山下警部にも、守るべき秩序や職務がある。
一方で城戸は、国家を脅迫できるほどの力を手に入れたにもかかわらず、何を要求していいのか分からない。
ここには、時代によって変わっていった人間の価値観があるように思う。
戦争を経験した世代。戦後の社会を支えてきた世代。そして、豊かになった日本で生きる城戸の世代。
社会が豊かになったからといって、人間が満たされるとは限らない。
何もなかった時代には欲しいものがはっきりしていたのに、いろいろなものが手に入るようになると、今度は何を望めばいいのか分からなくなる。
もちろん、すべての世代をそんな単純な図式で説明できるわけじゃない。
でも、1979年の日本という背景を踏まえると、城戸の空虚さには当時ならではの意味があるように感じる。
そして、こうした世代の違いを、菅原文太と沢田研二という二人のスターが演じている。
長谷川監督も、山下と城戸を父と息子のような関係として意識していたという。
そう考えると、あの二人が対決する姿は、単に刑事と犯人が争っているだけではないようにも見える。
ただし、こういう読み方を知らなければ楽しめない作品ではない。
沢田研二も菅原文太も格好いい。
まずはそれでいいと思う。
【結末考察】あれだけやって、結局何だったんだろう
そして、この映画の結末。
正直、俺の感想は「うーむ……」である。
あれだけ大騒ぎして、零子も山下も失って、城戸は結局何を成し遂げたんだろうか。
原爆を作り、国家を脅迫し、最後には大金まで要求する。
でも、そこに政治的な思想や、何としてでも実現したい大義があったようには見えない。
せめて何か明確な理由があって、意味のある場所で原爆を起爆させようとするなら、本人なりの意図は分かる。
ところが最後の城戸は、原爆を抱えたまま街をふらついている。
そして、時限装置の先にある結末が暗示されて終わる。
何とも行き当たりばったりだ。
ただし、あのラストで本当に原爆が爆発したのか、城戸がどうなったのかは、映像だけで単純に確定できるものでもない。
実際、公開当時のインタビューでは、長谷川監督自身が城戸を死なせていないという趣旨の発言もしている。
だから、結末を一つに決めつける必要もないのだろう。
とはいえ、俺はあのラストを観るたびに、なんとも言えない気持ちになる。
城戸誠という男は好きだ。でも、あいつのやったことに、最後まで立派な意味は見つからない。
むしろ、それがいいのかもしれない。
何もかも説明されて、すべての行動に理由があって、最後にきれいな答えが出る。
『太陽を盗んだ男』は、そういう映画ではない。
それなのに、あの男の生き方がなんとなく理解できてしまう。
そこが恐ろしいところでもあり、この映画の面白さでもあると思う。
原爆を「太陽」と呼んでしまうセンス
それにしても、『太陽を盗んだ男』という題名は本当に格好いい。
『原爆を作った男』でもなく、『国家を脅迫した男』でもない。
『太陽を盗んだ男』
原爆という恐ろしいものを、太陽という壮大な存在に置き換えてしまう。
しかも、それを盗んだのが、気だるそうに暮らしている一人の中学校教師なのだ。
題名は神話のように壮大なのに、本人の望みは妙に小さい。
この落差がたまらない。
原爆は城戸に、国家を脅迫できるほどの力を与える。
でも、同時に彼自身の身体を放射線によって蝕んでいく。
世界をひっくり返せるほどのものを手に入れたのに、それを手に入れた本人が少しずつ壊れていく。
何とも皮肉な話だ。
そして、そんな物騒で難しい題材を、ブラックコメディもアクションも入り混じった大胆な娯楽映画にしてしまった。
公道での激しいカーチェイスや、当時の東京を使った大掛かりな撮影も含めて、ものすごいエネルギーを感じる。
昔の映画だからこそできたこともあるだろうし、今なら違う撮り方になる部分も多いだろう。
でも、単純に「昔は規制が緩かったからすごい」という話でもないと思う。
あの時代の街、俳優、映画人、そして作品を作ろうとした熱量が重なって、あの映像が生まれた。
そんな映画を、47年後の今も観られるというのは面白いことだ。
まとめ|誰にでもおすすめできない。でも、今だからこそ観る価値がある
『太陽を盗んだ男』は、決して万人向けの映画ではない。
登場人物の行動は無茶苦茶だし、物語に強引なところもある。147分という長さも、人によっては気になると思う。
伏線回収や人物の心理を丁寧に説明してくれる作品が好きな人には、あまり向いていないかもしれない。
でも、この映画には1979年の日本が映っている。
まだまだ活気のあった東京の街並み、ファッション、車、建物。そして、沢田研二と菅原文太という二人の大スター。
名前は知っているけど、若い頃の二人を映画でちゃんと観たことがない。
そんな人には、ぜひ一度観てほしいと思う。
今の日本映画とは違う大胆さがあるし、当時の人が作った未来的な映像も、今では独特な味になっている。
映画の物語を楽しむことだけが、映画の楽しみ方じゃない。
映っている街を眺めたり、当時の俳優の格好よさを感じたり、今ではなかなか見られない映像表現を楽しんだりする。
そういう鑑賞方法があってもいいと思う。
そして城戸誠という、どうしようもない男。
やっていることは到底褒められない。それでも、あの無茶苦茶な生き方には、なんとなく共感してしまう。
あいつが何をしたかったのか、俺には結局よく分からない。
でも、それでいい。
『太陽を盗んだ男』は、古さを感じさせない映画というより、古さまで含めて格好いい映画なのだ。
1979年という時代を知らない人にこそ、一度観てもらいたい作品である。
現在はU-NEXTで見放題配信されているので、気になった人はチェックしてみてほしい。
現在の配信状況は各動画配信サービスでご確認ください。
※配信状況は変更される場合があります。