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『ディスクロージャー・デイ』感想|面白くない。でもスピルバーグ、これ何か言いたいんじゃないか?

zenzen

1994年北海道出身、福岡在住。会社員をしながら副業で美容師。映画・ゲーム・ガジェット・暮らしについて、実際に使った・観た・経験したことを中心に書いています。
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(画像はyoutubeの予告から)

『ディスクロージャー・デイ』を観た。
スティーブン・スピルバーグが再び「地球外生命体」を題材に撮った映画である。

しかも今回は『E.T.』のような少年と宇宙人の交流でも、『未知との遭遇』のような未知との接触でもない。

テーマはタイトルそのまま。
「ディスクロージャー=情報開示」だ。

「もし地球外生命体の存在を政府がずっと隠していたとして、その証拠が世界中に公開されたらどうなるのか?」

これが映画の大きなテーマになっている。

公式の紹介文も、

「もし私たちが孤独ではないと知ったら、それを証明されたら、あなたは怖いだろうか?」

という問いから始まっている。
めちゃくちゃ面白そうじゃないか。

スピルバーグの宇宙人映画。
しかも題材は「政府による隠蔽と情報開示」。

ただ、最初に俺の感想を言ってしまうと、映画としてめちゃくちゃ面白かったかと言われると、そうでもなかった。

つまらない、と切り捨てるのもちょっと違う。

テンポが悪いわけでもない。
映像がショボいわけでもない。

じゃあ何が引っかかったのか。

見終わってから考えてみると、この映画、俺が期待していた「宇宙人映画」とはちょっと違うのかもしれない。

というより、スティーブン・スピルバーグが何か言いたくて撮った映画なんじゃないか。

そんな気しかしない、不思議な映画だった。

そして調べてみたら、その感覚はどうも完全な考えすぎでもなさそうなのである。

『ディスクロージャー・デイ』はどんな映画?

『ディスクロージャー・デイ』は、スティーブン・スピルバーグが原案・監督を務め、デヴィッド・コープが脚本を担当した2026年のSFスリラー。

主演はエミリー・ブラントとジョシュ・オコナー。ほかにコリン・ファース、イヴ・ヒューソン、コールマン・ドミンゴらが出演している。上映時間は約2時間26分。

デヴィッド・コープといえば『ジュラシック・パーク』『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』『宇宙戦争』などでもスピルバーグと組んできた脚本家だ。

そして何より重要なのが、物語そのものはスピルバーグ自身が考えているということ。

ここは後々、かなり重要になってくる。

こんな人にはかなり刺さると思う

『未知との遭遇』『E.T.』などスピルバーグのSFが好きな人、UFO・UAP・政府の情報隠蔽といった都市伝説が好きな人、観終わったあとに考察したくなる映画が好きな人。

逆に「宇宙人とのド派手な戦闘」や「2時間ずっとハラハラするSFサスペンス」を期待すると、俺と同じようにちょっと乗り切れない可能性はある。

ネタバレなしで言うと

政府が長年隠してきた地球外生命体に関する「真実」。

それを知ってしまった人間たちが、世界に公表しようとする。

当然、それを止めたい側もいる。

その結果、情報を公表しようとする人間と、それを阻止しようとする人間による逃亡劇が始まる。

大まかな話はそんなところ。

政府の陰謀。
UFO。
地球外生命体。
情報公開。

冒頭に予告のリンクも置いてあるんだけど興味があったら見てみてほしい。
多分何もわからないけど。

でもまぁこれだけ並べると、俺は大好物。

だからこそ、観ていて妙な感覚になった。

『ディスクロージャー・デイ』は現在劇場公開中

『ディスクロージャー・デイ』は2026年10月1日より全国公開中。

今回は自宅ではなく劇場で観たが、スピルバーグ×ジョン・ウィリアムズということもあり、映像と音については劇場で観る意味がある作品だと思う。

※配信開始後は、ここに各VODの配信状況を追記します。


※ここから『ディスクロージャー・デイ』のネタバレあり

ここからはラストを含めて普通に書く。

未鑑賞で何も知らずに観たい人は、一度ここで閉じてもらった方がいい。

最初は「後から全部分かるんだろう」と思っていた

冒頭から、この映画は結構いろんなことを説明しない。

ジョシュ・オコナー演じる男性主人公ダニエル側は、俺たち観客より明らかに多くのことを知っている。

何かヤバいことが起きている。
真実を公表しようとしている。

そして、それを阻止しようとしている人間がいる。
だから逃げる。

ただ、観客にはまだ全貌が見えない。

でも俺は、この時点では全然気にならなかった。

むしろ、「まあ後から分かるんだろう」くらいで観ていた。

映画なんだから当然である。

最初から全部説明されたら、それはそれで面白くない。

だから「説明不足だからつまらない」という話ではない。

実際、映画が進んでいけば何が起こっていたのか自体は結構分かってくる。

人類はすでに地球外生命体と接触していた。

しかも、ただ仲良く握手していたわけではない。

地球外生命体を拘束し、拷問のようなことまで行い、その高度な技術を人間側が利用している。

つまり、「宇宙人がいるかもしれない」という映画ではない。

もういる。
政府側も知っている。

問題は、その事実を世界に公表するかどうかなのである。

ここまでは分かる。

ところが、俺が最後までいまいち掴めなかったのは、「なぜ、この人はそこまでしたいのか?」という部分だった。

「何が起きているか」は分かる。でも「なぜそこまでするか」が見えない

公表する側。
公表させたくない側。

当然それぞれに理由はある。

ただ、映画を観ている俺のところまで、その理由の切実さがあまり届いてこなかった。

「絶対に世界に知らせなければならない」
「絶対に世界に知られてはいけない」

そこまでの巨大な対立なのに、両者がそこまで必死になる感情の部分が、俺には少し遠かった。

だから状況は理解できても、人物に乗り切れない。

これが結構大きかった。

エミリー・ブラントの演技力で持ってるところある。

そして主人公が実質二人いる。

エミリー・ブラント演じるマーガレットと、ジョシュ・オコナー演じるダニエルだ。

冒頭話した通り、基本的には情報を開示したい側VS情報を隠蔽したい側の話。

冒頭から出てくる敵も主人公も色々知ってる様子。

その中でエミリー・ブラント演じるマーガレットだけは家に入ってきた鳥と接触することで能力が発動。
無意識に他言語を話したり、宇宙語みたいなのを話し始めたりする。

そんな中でもマーガレットは訳わかってない感じで、パニックを起こしたりする。
その様子がリアルで演技力で魅せられる箇所は何度もあった。

それにマーガレットは、何も知らない状況で真実を求めて移動しているので、自ずと彼女にしか感情移入できない。
特に冒頭は彼女がいないと結構退屈だったんじゃないかなと思う。

逃亡劇なのに、絶妙にハラハラしない

序盤はかなり長い時間、逃げる。

追われる。

また逃げる。

状況だけ考えれば完全にサスペンス。

普通なら、

「うわ、見つかる!」
「そこ行ったらダメだって!」
みたいになりそうなものである。

ところが俺は、

「あー……追ってきたね」

「あー……逃げるね」

くらいの温度で観ていた。

不思議なのが、別にテンポが悪いわけじゃないこと。

映画はちゃんと進んでいる。

ダラダラ会話しているわけでもない。

なのにハラハラしない。

逃亡劇がかなり長く続いているのに、俺の心拍数はずっと平常運転である。

この辺で、「俺、この映画あんまりハマってないな」と思い始めた。

じゃあ面白くなかったのか?と言われると、それも違う

ここが、この映画の面倒くさいところである。

じゃあ俺は『ディスクロージャー・デイ』をつまらないと思ったのか。

うーん、それもちょっと違う。

映画としてはハマりきらなかった。
でも、見終わったあとに妙に残る。

理由の一つは間違いなく、監督がスティーブン・スピルバーグだから。

これが無名の監督によるオリジナルSFだったら、俺もここまで考えていなかったかもしれない。

でもスピルバーグである。

『未知との遭遇』。
『E.T.』。
そして『宇宙戦争』。

この人は何十年も地球外生命体を映画にしてきた。

『ディスクロージャー・デイ』の公式紹介でも、スピルバーグの「空の秘密」への長年の関心が前面に出されている。

しかもスピルバーグって、昔から都市伝説界隈では妙な扱いをされてきた人でもある。

「政府から何か聞いているんじゃないか」
「宇宙人について知っているんじゃないか」
「『E.T.』なんかも人類を慣れさせるためだったんじゃないか」
……みたいな話である。

もちろん、この辺は月刊ムーの世界として楽しむ話だ。

俺も「スピルバーグは政府の宇宙人担当者だった!」とか言いたいわけではない。

ただ、そのイメージを知っている状態で、79歳になったスピルバーグが

『Disclosure Day(情報開示の日)』

なんてタイトルの映画を撮ってきた。

そりゃちょっと、「おっさん、何か言いたいことあるんじゃないの?」と思う。

この映画、やたらと「問い」を投げてくる

そして、ここから映画の見え方が少し変わった。

本作は答えを全部説明する映画というより、観客にいろんな問いを投げてくる。

その一つが、人間の「共感」についてだった。

地球外生命体側は、人類のあり方に危機感を持っている。

つまり、人間の「共感」が少しずつズレてきているけどこのままの人類、大丈夫なのか。
みたいな。

かなりデカいテーマである。

SNSでも戦争でも分断でも、今の世界と繋げようと思えばいくらでも繋げられる。

だから俺も、「お、そこ掘るの?」と思った。

ところが。

あんまり掘らない。

「人間の共感がズレている」と言われても、そこまで掘ってくれない

だから俺は、このテーマについて、「めちゃくちゃ分かる!」とも、「いや、それは違うだろ」

とも言えなかった。

判断する前に終わってしまったからだ。

なんとも言えない。

本当にこれ。

テーマが理解できないんじゃない。

むしろ面白そうなのである。

地球外の知的生命体から見たとき、今の人類は「共感する能力がおかしくなっている生物」に見える。

そんな話を真正面からやったら、めちゃくちゃ面白そうじゃないか。

でも、本作はそこに長く留まらない。

「こういう問題もありますよ」と置いて、次へ行く。

本作にはこういう瞬間が結構ある。

面白そうなテーマをいっぱい置いていく。でも全部を拾ってはくれない。

だから映画を観ながら、俺の頭の中にだけ宿題が増えていく。

これが面白さでもあり、ハマりきれなかった理由でもあると思う。

宇宙人が存在しても「神」は死なない

その中で、俺が結構好きだったのが宗教の話。

もし明日、「政府が地球外生命体の存在を正式に認めました」となったらどうなるのか。

科学界がひっくり返るのは当然として、宗教はどうなるんだろう。

神が人間を作った。
人類は特別な存在だ。

そう信じている人に、「ちなみに地球の外にも知的生命体いました」と発表したら、信仰そのものが揺らぐんじゃないか。

この疑問を映画もちゃんと扱う。

そして修道院のシーンで、一つの答えを出してくる。

「人類が特別」は、別に宇宙人の存在を否定していない

ここ、俺は結構好きだった。

地球外生命体の存在によって信仰が揺らぐのではないかと不安を口にするシーン。

それに対して、シスター・マウラは人類が神の創造の中で特別であるという考えは、地球外の知的生命まで否定するものではない、という趣旨の答えをする。

実際、この場面は海外でも「本作はキリスト教信仰と地球外生命の存在を対立させていない」と論じられている。

つまり俺なりにめちゃくちゃ雑に言えば、「創世記で人間が特別って言ってるけど、それ地球の中での話じゃね?」ということだ。

宇宙はクソほど広い。

地球の外に別の知的生命体がいてもいい。
人類より高度な文明を持っていてもいい。
それによって神の存在まで否定されるわけではない。

なるほど。

ここは、さっきの「共感」の話よりずっとスッキリした。

宗教側も「受け入れる準備できてますよ」ということなのか

そして俺は、このシーンを単なる宗教談義とは感じなかった。

この映画全体のテーマと合わせると、「宗教側だって、宇宙人が存在する世界を受け入れる準備はできていますよ」というメッセージに見えた。

これが結構重要なんじゃないかと思う。

なぜなら、この映画そのものがずっと、「もし本当に宇宙人がいると発表されたら、人類は受け入れられるのか?」をやっているからだ。

宗教は?
大丈夫。

社会は?
たぶん大丈夫。

一般市民は?
案外受け入れるんじゃない?

一個ずつ障壁を取っ払っていく。

そう考えると、本作が何をしたい映画なのか、少しずつ見えてくる。

これ、観客に「もう準備できてるよね?」って聞いてないか

ここまで来て俺が感じたのがこれだった。

スピルバーグ、俺たちに「もう宇宙人を受け入れる準備できてるよね?」って聞いてないか?

『未知との遭遇』が公開されたのは1977年。

あれから約半世紀。

UFOという言葉自体はもはや珍しくもない。

今はUAPなんて呼ばれたりもするし、公的機関や議会で話題になることだってある。

そしてスピルバーグ自身、『ディスクロージャー・デイ』について、1977年の『未知との遭遇』は「speculative(推測的)」だった一方、今回は現実のUAP報道などから着想を得ていると語っている。
CinemaConでは「フィクションより真実が多い」という趣旨の発言までしている。

いやいや。

そんなこと言うなよスピルバーグ。

余計気になるだろ。

そして、この映画で一番その感覚が強くなったのがラストだった。

ラストだけ急に「映画」になる

最終的に、地球外生命体が存在する証拠を世の中へ公表する場面がある。
地方のテレビ局から、その映像が放送される。

ここまではいい。
問題はそのあと。

それを見た別のテレビ局の人間が、「これをうちでも流せ」となる。

さらに別の局。
また別の局。

どんどん映像が共有されて、世界に真実が広がっていく。

そして俺は観ながら思った。

いや、そんな簡単にいく?

普通、地方局が「宇宙人いました!」って流しても即追随しないだろ

だって考えてみてほしい。

どこかの地方局が突然、「宇宙人の存在を証明する映像を入手しました!」と放送したとする。

それを見た大手局が、「マジか!じゃあウチも流せ!」とは、普通ならならないだろう。

まず、「これ本物?」になる。

出所は?
誰が撮った?
加工されてない?
政府に確認した?
専門家は?
放送して大丈夫?
社内で誰が責任取る?

今の時代ならAI生成映像の可能性だって疑われる。

たぶん、とんでもなく面倒くさい。

なのに映画では、かなりスムーズに「真実」が広がっていく。

ここだけ急に、めちゃくちゃ映画なのである。

それまで俺は、この映画に対して「意外と映画的な気持ちよさがないな」と感じていた。

逃亡劇なのにハラハラしない。

テーマも全部は回収しない。

キャラクターにも完全には乗れない。

ところが最後の最後になって、「真実が世界中へ広がっていく!」という、ものすごく映画的なカタルシスを持ってくる。

だから逆に引っかかった。

もしかして、この「出来すぎた世界」を見せたかったんじゃないか

普通なら、「いやいや、ご都合主義だろ」で終わる。

俺も最初はそう思った。

でも、ここまでの話を全部考えると、ちょっと違って見えてきた。

スピルバーグは現実の情報公開プロセスを忠実に再現したかったんじゃなくて、「もし公表したら、世界はこうやって受け入れることもできる」という世界を見せたかったんじゃないか。

宗教も崩壊しない。
人々もパニックで殺し合ったりしない。
メディアも真実を伝える。
そして情報は世界中へ広がる。

つまり、「ほら。言っても大丈夫だろ?」と。

誰に?

俺たち観客にも。

もし本当に何かを知っている人間がいるのなら、そいつらにも。

そして、地球外生命体にも。

「政府さん、もう公表しちゃいなよ」に見えてしまった

ここまで来ると、俺には『ディスクロージャー・デイ』が単なるSF映画というより、

スピルバーグから多方面への圧みたいに見えてきた。

もちろん、「アメリカ政府は宇宙人を隠している!」なんて断定するつもりはない。
俺は知らない。

ただ、映画の主張として考えると、

観客には、
「もし宇宙人がいると分かっても、あなたたちはもう受け入れられるでしょ?」

秘密を握っているかもしれない側には、
「人類はもう大丈夫だから、そろそろ教えてもいいんじゃない?」

そして地球外生命体にも、
「宗教とかいうややこしいものがあるけど、全然受け入れられるよ!なんなら人類の方が酷いやつだから!」

と言っているように感じた。

これだけなら俺の妄想で終わる。

ところが、映画を観たあとにスピルバーグ本人のインタビューを調べたら、ちょっと笑ってしまった。

調べたらスピルバーグ本人が結構すごいこと言っていた

CBSのインタビューで、スピルバーグはこの映画の発想について、もし過去約80年間の映像証拠を持つ人物がいて、それを世界中へ一斉に公開したらどうなるか、というアイデアが物語の核だと説明している。

さらに別の対談では、

「未知のものが一部の人には知られているのに、私たち全員には知らされていない。その不公平さが、この物語を語る原動力になった」

という趣旨のことまで話している。

やっぱりお前、言いたいことあるんじゃん。

しかもCBSから、

「宇宙人は地球に来たことがあると思いますか?」

と聞かれたスピルバーグは、これまで自分が集めてきた状況証拠や証言などを踏まえて、「彼らはここに来たことがあるし、今もいると私は完全に思っている」と答えている。

さらに、「もしかすると、ずっとここにいたのかもしれない」とまで続けている。

俺が月刊ムー的に考えすぎていたわけでもなかった

ここで最初の話に戻る。

俺は映画を観ながら、「スピルバーグって昔から宇宙人について何か知ってるんじゃないかって都市伝説あったよな」と思っていた。

だから、この映画も、「おっさん、また何か匂わせてない?」くらいの気持ちで観ていた。

半分冗談ね。

ところが本人のインタビューを読むと、「一部の人だけが真実を知っている不公平さに興味がある」と言っている。

もちろん、「政府が宇宙人を隠していることをスピルバーグは知っている」という証拠には一切ならない。

そこは分けないといけない。

ただ少なくとも、『ディスクロージャー・デイ』を、「スピルバーグがまた宇宙人映画撮ったんだね」だけで終わらせる作品ではないと思う。

本人がかなり本気で、このテーマに興味を持っている。

そこは間違いなさそうだ。

映画としてハマらなかったのに、見終わってから面白くなった

これが俺の『ディスクロージャー・デイ』に対する、一番しっくりくる感想かもしれない。

観ている最中より、観終わってからの方が面白かった。

映画としては、正直そこまでハマっていない。
逃亡劇は長いのにハラハラしなかった。
人物が何をしたいのか、感情の根っこの部分が掴みにくかった。
肝心な地球外生命隊すら何がしたいのかは不明なまま。
人間の「共感」という面白そうなテーマも、俺としてはもっと掘ってほしかった。

映画単体で評価するなら、結構引っかかるところがある。

でも、「なんでスピルバーグはこの映画を撮ったんだろう?」と考え始めると、急に面白くなる。

『未知との遭遇』から約50年後のスピルバーグがこれを撮った意味

1977年、『未知との遭遇』でスピルバーグは、人間と地球外生命体が初めて大きく接触する物語を描いた。

そして約半世紀後。

今度は、「もう接触していました。問題は、それをいつ皆に教えるかです」という映画を作った。

この変化が面白い。

昔は、「宇宙人っているのかな?」だった。

今は、「いるとして、いつ公表する?」になっている。

しかもスピルバーグ本人は『ディスクロージャー・デイ』を単なる空想として距離を置いているわけでもない。

本人の中では、かなり現実と地続きのテーマなのだろう。

そう考えると、この映画が妙に「答え」より「問い」を並べる理由も少し分かる気がする。

スピルバーグは宇宙人の正体を説明したいわけじゃない。

むしろ、「もし本当だったら、お前らどうする?」をやりたいんじゃないか。

まとめ|スピルバーグ、やっぱり何か言いたいんじゃないか?

『ディスクロージャー・デイ』。
俺は映画としては、そこまでハマらなかった。

面白いか面白くないかだけで聞かれたら、「うーん、そんなに……」と答えると思う。

でも不思議な映画だった。

いろんなテーマを置いていくわりに、全部を綺麗には回収してくれない。

だから観ている最中は、

「もうちょっとそこ説明してくれよ」

と思う。

ただ。

『未知との遭遇』や『E.T.』を撮ってきたスティーブン・スピルバーグが79歳になって、『ディスクロージャー・デイ』なんて映画を撮って、

その本人が、「彼らは今もここにいると思う」なんて言ってるんだから、そりゃ色々考える。

結局、映画を観る前より観た後の方が、俺は宇宙人について考えている。

そう考えると映画としてハマらなかったくせに、俺はスピルバーグの思惑には結構ハマってしまったのかもしれない。

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