(画像はtokusatsu-fc.jpより)
『仮面ライダー555』のTVシリーズ終了から20年。
乾巧、園田真理、草加雅人、海堂直也といったオリジナルキャストが再集結し、その後を描いた『仮面ライダー555 20th パラダイス・リゲインド』。
先に言っておくと、私はこの作品をある程度は許している。
以前『アギト-超能力戦争-』の記事でも書いたが、アギトとは少し事情が違うと思っているし、そもそも『555』はTVシリーズの終わり方が綺麗すぎる。
多少強引な展開になってでも、「20年ぶりのお祭り」を優先したくなる気持ちは分からなくもない。
『オーズ』の10周年作品がファンからかなり複雑な受け止め方をされたことも知っているし、『龍騎』のスピンオフ作品にも驚かされた。
まあ『オーズ』に関しては、本編も映画もちゃんと見ていないので私から作品そのものを評価するつもりはない。
その辺を見てきたこともあって、ファン向けの同窓会Vシネなら、まあこんなものか。
『パラダイス・リゲインド』には、そう納得できる余地があった。
ただし。
許せることと、映画として出来が良いと思うことは別だ。
私は『555』のファンとして、そして映画好きとして、一度ちゃんとこの映画について書いておきたい。
『パラダイス・リゲインド』とは
『仮面ライダー555 20th パラダイス・リゲインド』は、2003年から2004年に放送された『仮面ライダー555』の20周年作品。
TVシリーズ最終話から20年後を描いた正統な続編で、脚本は井上敏樹、監督は田﨑竜太。
つまり、オリジナル版を作ったスタッフが再び集まって作った555である。
20年後の世界では、政府によって企業再生されたスマートブレインが、かつてとは逆にオルフェノクの殲滅を目指す企業へと変貌。
真理たちは「西洋洗濯舗 菊池」を拠点に、迫害されるオルフェノクを保護している。
そんな中、消息不明だった乾巧がスマートブレインの尖兵として現れる――という話だ。
この設定だけ聞くと、結構面白そうなのである。
ネタバレなし感想|あの頃の555を作ろうとした熱意は感じる
まず良かったのは戦闘。
ここは特に大きな不満がなかった。
戦闘中のSEなども含めて、かなり当時の555へ寄せているように感じた。
最近の仮面ライダーを私はほとんど見ていないので、「最近のライダーより555らしい」なんて比較はできない。
ただ、少なくとも見ていて、「あ、555が帰ってきたな」と思える戦闘だった。
『アギト-超能力戦争-』では戦闘にも結構な違和感を覚えたので、それと比べても今回はかなり自然だったと思う。
(特にボス戦)
NEXTファイズのデザインも、意図は分かる
新しく登場したNEXTファイズについても、私はそこまで嫌いではない。
かっこいいかと言われると、個人的にはかなりゴチャゴチャしていてタイプではないし、スマートじゃない。
カイザも。
ただ、「令和の時代にアップデートされたファイズ」という方向性だと思えば納得はできる。
20年前とまったく同じファイズを出すだけではなく、時間が経過したことをデザインでも見せようとした。
好き嫌いと、意図に納得できるかは別である。
オリジナルキャストが帰ってきた。でも……
もちろん、乾巧、真理、草加、海堂が揃ったことも嬉しい。
ただ、ちょっとだけ複雑でもあった。
555は人気作品だったこそ半田健人、村上幸平、芳賀優里亜、唐橋充らを見る機会は、555終了後にも何度かあった。
『仮面ライダー4号』や『ジオウ』など、555のキャラクターやキャストが再登場する機会もあった。
だから、「20年間会えなかったメンバーが奇跡的に帰ってきた!」という感覚は、そこまで強くない。
これはキャストへの文句ではない。
むしろ、それだけ555が長く愛され続けて、何度も呼び戻されてきた証拠なのだと思う。
嬉しい。
でも「20年ぶり」という数字ほどの衝撃はなかった。
そんな感じだ。
『パラダイス・リゲインド』の配信状況
『仮面ライダー555 20th パラダイス・リゲインド』は、2026年9月現在、U-NEXTやHuluなどで見放題配信されている。
私は今回かなり文句を書いているが、555を見ていたなら一度は自分で見てほしい作品でもある。
戦闘やオリジナルキャストの復帰など、20周年作品として嬉しいところもちゃんとある。
むしろ見終わったあと、「いや、20年後の555ってこれで良かったのか?」と一緒に考えてほしい。
現在の配信状況は各動画配信サービスでご確認ください。
※配信状況は変更される場合があります。
ここから先は『パラダイス・リゲインド』本編のネタバレを含む。
ここからネタバレあり
この映画、全体的に「軽い」
見終わって一番引っかかったのは、これだった。
軽い。
『555』だって昔から軽い場面はある。
海堂なんてその代表だ。
でも、その下にはずっと重いものがあった。
人間とオルフェノク。
死。
寿命。
夢。
差別。
人間として生きたい怪物と、怪物よりよほど残酷な人間。
『555』は「オルフェノクとして甦りながらも、人として生きようとする」木場たちを描き、単純な人間=正義、怪人=悪では語れない作品として説明だった。
だから555は、ふざけていても軽くはなかった。
ところが『パラダイス・リゲインド』は逆に感じる。
重たい設定を大量に置いているのに、その扱いが妙に軽い。
ここが一番気になった。
真理がオルフェノクになる。それで?
園田真理がワイルドキャットオルフェノクになる。
別に、この展開そのものが嫌なわけではない。
元々555は重たい作品だ。
人間だった真理がオルフェノクになるくらいの展開があってもおかしくない。
むしろ、ちゃんと掘れば面白い。
真理はずっと、人間でありながら巧や木場たちオルフェノクと関わってきた。
その真理自身が怪物側の当事者になった。
人間だった頃と何が変わったのか。
人間を襲う側の衝動とどう向き合うのか。
巧や海堂が抱えてきたものを、自分自身がオルフェノクになって初めて理解する。
いくらでも話を作れそうだ。
でも実際には、真理がオルフェノクになった。
という事実だけが強く残ってしまう。
そして最後には、他人に「オルフェノクになっちゃえば?」というような軽口まで叩く。
いや、軽いな。
本人がオルフェノクになったことに理由や深みが出るなら、私はかなり納得できたと思う。
でも「なっただけ」という印象がどうしても拭えない。
巧と真理の関係も、そこを掘るのか
巧と真理の関係について、今までより踏み込んだ男女としての描写を入れること自体は別に構わない。
20年経っているのだから、いつまでも高校生みたいな距離感でいる必要もない。
ただ、その描写を見ながら私は、そこを掘るのか。
と思ってしまった。
20年間で巧はどう生きてきたのか。
なぜ今も生きているのか。
真理との関係はどう変化したのか。
人間とオルフェノクの関係はどう変わったのか。
聞きたいことは山ほどある。
だがあまりストーリーで明かされることはない。
その中で妙に印象に残るのが、あの場面なのである。
制作インタビューについても、誰がどの場面にどう意見したのかは公開情報を確認したうえで追記したいが、少なくとも作品を見た私の感覚としては、「こだわるところ、そこなのかよ」という気持ちは残った。
そしてオルフェノク同士で描かれたことで、妙なシュールさまで増している。
政府がスマートブレインを再生したって、めちゃくちゃ大事件じゃない?
政府がスマートブレインを企業再生。
しかも今度はオルフェノクを殲滅する会社になっている。
TVシリーズのスマートブレインは、オルフェノク社会の中心にいた。
それが政府の管理下に入り、今度はオルフェノクを狩っている。
人間社会はオルフェノクをどこまで認知しているのか。
なぜ政府は殲滅するという結論に至ったのか。
オルフェノクにも人権はあるのか。
真理たちの保護活動は社会からどう見られているのか。
そういう世界を見たかった。
冒頭で架空ニュースでも流してくれればよかった
別に30分説明してほしいわけではない。
映画の冒頭で架空のニュースを流すだけでもいい。
「近年増加するオルフェノク被害を受け――」
「政府はスマートブレイン社を企業再生し――」
「一方、オルフェノク保護を訴える団体からは――」
みたいなニュースを2分やるだけで、
「TV版から20年経って、この問題は社会全体の問題になったんだ」
と分かる。
でも実際は、研究施設で事件が起こって、割とすぐ昔のメンバーの生活へ入っていく。
せっかく20年後の世界を作ったのに、世界そのものがあまり見えない。
これは勿体ない。
ミューズは何のために出てきたんだろう
新キャラクターの胡桃玲菜/仮面ライダーミューズもそう。
彼女はスマートブレインのオルフェノク殲滅隊隊長として登場する。
設定だけなら面白い。
巧たちとは違う世代。
オルフェノクと人間が共に暮らせるか悩んだ20年前を知らず、政府側から「オルフェノクは殲滅する存在」と教えられてきた若者。
そんな人物なら、20年前の登場人物との対比にできる。
でも実際には、強い新ライダーとして登場して、巧と関係を持ち、立場が動き、退場していく。
私には最後まで、「ミューズという新しいライダーを出す」以上の役割があまり見えてこなかった。
少なくとも映画の中では「胡桃玲菜だからこそ、この20年後の物語に必要だった」と思えるところまで描かれていない。
変なキャラ付けみたいなのだけされてたけど。
これも本作全体に感じる、思いついた設定を置いて、掘る前に次へ行ってしまうという印象につながっている。
海堂がラーメン屋をやっているのも、なんで?
海堂については、20年後のキャラクターとしては比較的納得している。
昔からお調子者だった兄ちゃんが、そのままお調子者のおじさんになった。
これは分かる。
ただ、周辺設定はやっぱりよく分からない。
啓太郎が不在なのは仕方ない。
そこで西洋洗濯舗 菊池を任された側の海堂たちがいる。
真理、条太郎、海堂、草加が店を経営しながらオルフェノクを庇護している。
なのに海堂は中華屋にいる。公開時の公式スチール紹介でも、海堂は中華屋に佇む姿として紹介されていた。
そして、その設定が強烈に生きた記憶といえば、ラー油で足を滑らせるところ。
いや、何なんだよ。
こういうところに私は、物語を面白くするために人物を動かしたというより、思いついたから人物を動かしているような感覚を覚えてしまう。
昔の井上脚本にも突飛な展開はあった。
でも、それが人物同士をぶつけたり、その後のドラマを生んだりすることも多かった。
今回は「変えた」という事実だけが残るものが多すぎる。
普通に洗濯屋してないならギター教室とかでよくないか?
草加と北崎を両方アンドロイドにする必要はあったのか
そして、やっぱりここ。
草加雅人と北崎。
TVシリーズを見ていれば、二人がそのまま20年後にいるのは当然おかしい。
だから何らかの理由は必要になる。
北崎については、私はアンドロイドでもいいと思う。
TV版の北崎はアークオルフェノクに取り込まれる形で最期を迎えているし、オリジナルの北崎を無理に復活させると、TV版ラストに残されたアークオルフェノクの扱いにまで手を入れる可能性が出てくる。
だったら、「これは北崎本人ではなく、北崎型アンドロイドです」としておく。
これは分かる。
でも草加までアンドロイドにする必要があったのか。
草加こそオルフェノクになればよかったんじゃないか
もちろん力技なのは承知している。
TV版の草加は死んでいる。
それを20年後に「実はオルフェノクとして覚醒していました」とするのも十分強引だ。
でも、どうせ強引なら私はこっちが見たかった。
オルフェノクを誰よりも嫌っていた草加雅人が、オルフェノクになって帰ってくる。
これだけでドラマになる。
しかも真理までオルフェノクになるのだ。
最初からオルフェノクだった巧。
人間としてオルフェノクと関わってきたのに、自分自身もオルフェノクになった真理。
そしてオルフェノクを憎み続けた末に、自分までオルフェノクになってしまった草加。
同じ「オルフェノク」でも、三人の立場は全部違う。
草加が北崎型アンドロイドと対峙して、自分やオルフェノクがスマートブレインに利用されていることへ怒ってもいい。
巧と対立してもいい。
最後は死なせず、行方をくらませてもいい。
そうすれば今後また草加を出す余地だって残る。
木場と同じ人物になる必要はないが、人間とオルフェノクの間に立つ別の存在にだってできたはずだ。
こっちの方が、少なくとも20年前の設定から生まれた20年後にはなる。
『パラダイス・ロスト』は81分だった
そして「Vシネだから尺がないんだよ」と考えたところで、どうしても思い出してしまう作品がある。
『劇場版 仮面ライダー555 パラダイス・ロスト』。
同じ田﨑竜太監督・井上敏樹脚本で作られた、2003年の劇場版だ。
あちらはオルフェノクに支配された世界、人間側のレジスタンス、記憶を失った巧、ミナ、木場たち、サイガ、オーガ、大量のライオトルーパーまで出てくる。
それでも「人間がほとんどいなくなった世界」という状況は、かなり早い段階で理解できる。
もちろん映画とVシネでは制作条件も予算も違う。
単純比較はできない。
それでも上映時間の差だけで考えれば、約16分。
だから、「65分しかないから仕方ない」だけでは、私は完全には納得できなかった。
昔の同じスタッフは、もっと巨大な世界を映画一本に押し込んでいたからだ。
20年経った役者ではなく、20年経ったキャラクターが見たかった
最後に、これは書くか迷った。
役者の容姿を悪く言いたいわけではない。
20年経てば当然、人は歳を取る。
私だって歳を取った。
ただ今回、その「20年」が妙に気になった。
アギトの新作では、25年経った役者たちが演技によって昔のキャラクターへ戻ってきたことに驚いたが一方、555では少し違った。
役者は20年歳を重ねている。
なのにキャラクターだけが、20年前のまま現在にやって来たように感じた。
喋り方。
ノリ。
関係性。
昔のままを再現しようとすればするほど、逆に見た目との時間差が浮いて見える。
海堂はまだいい。
元々お調子者の兄ちゃんだった男が、お調子者のおじさんになったように見えるからだ。
(何度も言いたい)
でも他の人物には、「この人はこの20年間をどう生きてきたんだろう」という時間があまり見えてこなかった。
だから私が引っかかったのは、役者が老けたことではないのだと思う。
キャラクターを20年老けさせられていなかったこと。
その違和感だった。
555も、私たちと一緒に大人になってほしかった
『パラダイス・リゲインド』を私は許せる。
Vシネだ。
20周年だ。
死んだ草加も出したい。
みんなを集めたい。
新しいファイズも出したい。
でも、555にはもっとできたんじゃないかと思ってしまう。
当時子供だった555の視聴者は、もう大人になっている。
だったら555だって、一緒に大人になってよかった。
『555』には、後年さらにダークな物語へ踏み込んだ『仮面ライダー555 異形の花々』などの小説展開もある。
別にそれをそのまま映像化しろという話ではない。
もっと重くてよかった。
もっと面倒くさくてよかった。
人間とオルフェノクが20年間でどうなったのか。
真理がオルフェノクになって何を失ったのか。
草加が帰ってくるなら、帰ってきたこと自体をドラマにしてほしかった。
政府がスマートブレインを再生したなら、その世界を見せてほしかった。
新しい設定が欲しかったわけじゃない。
20年前に残した設定を、20年間育てた555が見たかった。
それだけなんだと思う。
『パラダイス・リゲインド』には、あの頃の555をもう一度作ろうとする熱意は感じた。
ただ、あまりにも全体がふわっとしていた。
許せる。
でも、「これが20年後の555です」と言われると、やっぱり少し寂しい。
そんな映画だった。
『555』本編から見直すのもおすすめ
『パラダイス・リゲインド』単体でも見られるが、今回書いた草加やオルフェノク、スマートブレインについては、TVシリーズを見直すと余計に気になるところが出てくる。
特に『パラダイス・ロスト』との比較は面白い。
現在の配信状況は各動画配信サービスでご確認ください。
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