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『顔を捨てた男』感想・考察|青い目とラストの笑顔が意味するもの【ネタバレ】

zenzen

1994年北海道出身、福岡在住。会社員をしながら副業で美容師。映画・ゲーム・ガジェット・暮らしについて、実際に使った・観た・経験したことを中心に書いています。
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(画像は「顔を捨てた男」公式サイトより)


映画『顔を捨てた男』を観た。

上映当時から見たかったんだけど、気づいたら終わってた映画だったんだけど、どにか配信で見ることができた。

結論、めちゃくちゃ面白い映画だった。

顔に大きな変形を持つ男が、治療によって普通の顔を手に入れる。
しかし、かつての自分とよく似た顔をした男が現れたことで、せっかく手に入れた人生が狂い始める。

なんとも皮肉な映画だ。

こういう作品は「外見よりも中身が大切」「ありのままの自分を愛そう」といった教訓に落ち着きそうなものだが、俺にはそんな単純な話には思えなかった。

エドワードが顔を変えたことは、別に間違いじゃないだろう。

実際に彼の人生は好転したし、元の性格を考えれば、あの顔のまま生き続ける方がもっと不幸だった可能性だってある。

それでも彼は、自分が捨てた顔を持つオズワルドに出会ったことで、すべてを失ったように感じてしまう。

そして、観終わってから一番気になったのがラストの笑顔だ。

オズワルドに「君はちっとも変わらないね」と言われ、エドワードは笑う。

最初は、結局何も変わらなかった男の悲劇だと思った。

でも、食事中に目が合った女性の存在や、劇中で繰り返し登場する『青い眼が欲しい』という小説の意味を考えると、少し違って見えてきた。

もしかするとエドワードは、最後の最後に本当に変わったのかもしれない。

今回は監督のインタビューや国内外の映画批評も参考にしながら、この映画について考えてみたい。

『顔を捨てた男』の作品情報とあらすじ

項目内容
原題A Different Man
監督・脚本アーロン・シンバーグ
主演セバスチャン・スタン
共演レナーテ・レインスヴェ、アダム・ピアソン
製作年2024年
日本公開2025年7月11日
上映時間112分

主人公エドワードは、顔に大きな変形を持つ俳優志望の男。

その容姿から人の視線に悩まされ、消極的な人生を送っていた。

そんな彼が実験的な治療を受け、普通の容姿を手に入れる。

エドワードは過去を捨て、「ガイ」という別人として新しい人生を歩み始めるが、ある日、以前の自分とよく似た容姿を持つオズワルドと出会う。

しかも、オズワルドはエドワードと違って社交的で、才能にも恵まれていた。

彼の登場によって、エドワードは再び自分の人生に疑問を抱き始める。

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※以下、結末までのネタバレを含みます。

エドワードが顔を変えたことは間違いじゃないと思う

まず、この映画を観て思ったのは、エドワードが顔を変えたことを否定したくないということだ。

彼は元々、内向的で自分に自信がなく、他人の視線を気にしてしまう人間だった。

その性格のまま、周囲から奇異な目で見られ続ける。

そりゃあ、普通の顔になりたいと思うだろう。

それに、実際に顔を変えたことで人生は好転している。

新しい名前で生活を始め、不動産の仕事で成功し、女性との関係も持つようになった。

彼は望んで普通になった。幸せになれると思ったからだ。

そして、一度はその願いが叶っている。

だから、オズワルドが元の顔のまま幸せそうに生きているからといって、エドワードの選択が間違いだったとは思わない。

むしろ、あの性格のまま以前の生活を続ける方が、よほど苦しかったかもしれない。

問題は、顔を変えたことよりも、その後の人間関係だったんじゃないだろうか。

オズワルドはいいやつ。でもエドワードとは絶望的に合わない

オズワルドは悪人ではない。

むしろ、かなりいいやつだと思う。

明るくて、社交的で、誰とでも自然に話せる。演技の才能があるうえ、映像記憶能力まで持っている。

ただ、正直者すぎる。

思ったことを遠慮なく口にするし、他人との距離感も近い。

それがエドワードには耐えられない。

自分が長年コンプレックスに感じていた容姿を持ちながら、周囲から認められている男。

しかも、自分が欲しかった役も、好きだった女性も、次々に手に入れてしまう。

これほど相性の悪い相手もいないだろう。

でも、オズワルドには悪意がない。

それどころか、エドワードと仲良くしたいとさえ思っている。

そこが余計に厄介なのだ。

エドワードが捨てた顔を持つ男が、エドワードのなりたかった人間だった。

これが本作の残酷なところだと思う。

とはいえ、俺はエドワードにも問題があると思っている。

そんなに苦しいなら、もう離れなさいよと。

別にオズワルドと友人でいる必要なんてない。

イングリッドとの関係だって、続けなければならないわけじゃない。

せっかく普通の顔になって、新しい人生を手に入れたのだから、そのまま別の場所で生きればよかったのだ。

でも、エドワードはそうできなかった。

顔を変えることで過去から離れられた男が、今度は自分の意志で過去に囚われてしまう。

このあたりは同情もするが、本人の問題でもあると思う。

イングリッドはエドワードの顔にしか興味がなかったのか

イングリッドについては、正直なところ、ひどい顔フェチにしか見えなかった。

特に印象的だったのは、顔を変えたエドワードとのセックス中に、以前の顔を再現したマスクを着けさせる場面。

エドワードが人生を変えるために捨てた顔を、彼女は性的な刺激として求めている。

あまりにも残酷だ。

ただ、最初から彼を単なる観察対象として見ていたとも思わない。

特殊な容姿への興味から始まり、そこに恋愛感情が芽生えたんじゃないだろうか。

ところがエドワードが普通の顔になったことで、今度は彼の消極的な性格や、人間的なつまらなさが前面に出てしまった。

そして、そこにオズワルドが現れる。

以前のエドワードと同じような容姿を持ちながら、明るく、面白く、才能まである。

そりゃあ惹かれるだろう。

ただ、ここでひとつ気になる場面がある。

オズワルドだけが、エドワードの青い目に気づいた

オズワルドが、エドワードの青い目を褒める場面だ。

オズワルドは、その印象的な青い目を見て、トニ・モリソンの小説『青い眼が欲しい』を思い出したと話す。

ところが、イングリッドはエドワードの目の色に気づいていなかったと言う。

これ、よく考えたらひどい話だ。

彼女はエドワードの人生を題材に舞台まで作り、普通の顔になった彼とは肉体関係も持っている。

それなのに、青い目というわかりやすい特徴にすら気づいていない。

彼女は最初から、普通の顔をしたエドワードには大して興味がなかったんじゃないだろうか。

一方、オズワルドは違う。

エドワードの新しい顔にも目を向け、そこに美しさを見つけている。

この違いは大きい。

そして、この場面について実際に顔の変形を持つ批評家Alice Wynneが興味深いことを書いていた。

彼女は、特徴的な容姿を持つ人間は、望まなくても周囲の視線を集めてしまう一方、一般的な容姿の人間は、人混みに紛れて目立たずに生活できると指摘している。

確かにその通りだ。

イングリッドがエドワードの青い目に気づかなかったことは、彼が普通の人間として扱われるようになった証拠でもある。

一方で、俺には彼女がエドワードをちゃんと見ていない証拠にも思えた。

オズワルドの方が不幸なのかもしれない

そう考えると、少し見方が変わってくる。

エドワードはイングリッドを失い、オズワルドに嫉妬している。

でも、果たしてオズワルドは本当に勝ち組なのだろうか。

俺からすると、あんな変な女に捕まってしまったオズワルドの方が、よほど不幸になる可能性だってあると思う。

少なくともイングリッドには、他人の人生や容姿を自分の創作や欲望のために利用してしまう危うさがある。

オズワルドがその対象にならない保証はない。

もちろん、実際に彼が不幸だと断定するつもりはない。

ただ、エドワードから見えるオズワルドの人生と、本人が感じている人生は、まったく違うかもしれない。

エドワードは、オズワルドが幸せだと勝手に決めつけているだけなのだ。

『青い眼が欲しい』という小説が何度も登場する意味

今回、調べ直して特に面白かったのが、劇中で繰り返し登場する『青い眼が欲しい』という小説だ。

これは、ノーベル文学賞作家トニ・モリソンが1970年に発表した作品。

主人公は、黒人の少女ペコラ。

彼女は自分の容姿を醜いと思い込み、青い目を手に入れれば美しくなり、周囲から愛され、人生が変わると信じている。

この物語には、人種差別や白人中心の美の基準が深く関わっているため、エドワードの経験とそのまま同一視することはできない。

ただ、社会が決めた美しさの基準を自分の価値判断として受け入れ、別の容姿になれば幸せになれると信じてしまう構造はよく似ている。

エドワードは、誰かが欲しがる青い目を持っていた

この小説を知ると、オズワルドがエドワードの青い目を褒める場面が、さらに皮肉に見えてくる。

エドワードは、元の顔を捨てて普通の容姿になりたかった。

一方、小説の少女は、青い目を手に入れたいと願っている。

そして、エドワードには、その青い目がある。

つまり、エドワードが手に入れた普通の顔は、誰かにとっては憧れの容姿でもあるということだ。

これは重要だと思う。

エドワードは、オズワルドに出会ったことで自分が失った顔の価値に気づいた。

でも、それと同時に、今の顔の価値を見失ってしまった。

他人からすれば羨ましいほど整った顔で、青い目まで持っている。

それなのに、彼はもうその顔に満足できない。

以前は普通になれないことが不幸だったのに、今度は普通になったことが不幸になってしまった。

ここに、この映画の大きな皮肉がある。

序盤の女性も『青い眼が欲しい』を読んでいる

実は、この小説は序盤の地下鉄にも登場している。

エドワードの向かいに座っていた女性が読んでいる本も『青い眼が欲しい』なのだ。

彼女はエドワードに目を向け、視線が合うと本へ目を戻す。

美しさの基準が人間を傷つける物語を読みながら、目の前にいるエドワードにも、特別な視線を向けてしまう。

美醜や偏見について知識を持っている人が、必ずしも現実で他人を偏見なく扱えるわけではない。

本を読んで理解したつもりでも、実際の行動が伴うとは限らないってことなんだと思う。

終盤、エドワード自身が同じ本を読んでいる

そして終盤。

刑務所に収監されたエドワードもまた、『青い眼が欲しい』を読んでいる。

序盤では他人が読んでいた本。

中盤ではオズワルドが読んでいた本。

そして、終盤ではエドワード自身が読んでいる。

これが偶然とは思えない。

エドワードは、小説を読んで何を感じたのだろう。

自分がずっと欲しがっていた普通の容姿も、他人にとっては憧れの対象になり得る。

そして、他人が憧れる容姿を持っているからといって、幸せになれるわけでもない。

そんなことに気づいたのかもしれない。

ただし、本を読んだから彼が変わったとまでは断定できない。

序盤の女性だって、同じ本を読んでいたのだから。

大事なのは、読んだことではなく、そこから何を受け取ったかだと思う。

オズワルドにも、彼にしかわからない苦悩があるはずだ

劇中では、オズワルドの容姿について周囲が露骨に否定する場面は少ない。

それどころか、演劇の世界では才能を評価され、周囲からも愛されている。

でも、俺はここに少し違和感があった。

彼があの顔で生きてきた以上、日常生活で偏見や差別を受けた経験がないとは考えにくい。

少なくとも、エドワードが受けてきたような視線を、彼だけがまったく経験していないとは思えないのだ。

ただ、映画はそれをあえて描かない。

オズワルドが活躍する場面は、主に演劇や芸術に関わる場所だ。

他人と違うことが個性として評価される世界。

彼は、その世界で自分の居場所を見つけたのかもしれない。

でも、普段から何の苦悩も抱えていないとは限らない。

むしろ、明るく振る舞っているのは、これまでの経験から身につけた生き方かもしれない。

そして、この映画はあくまでエドワードの物語だ。

俺たち観客が見ているオズワルドもまた、エドワードの視点から切り取られた姿にすぎない。

これは監督のインタビューにも通じる。

アーロン・シンバーグ監督は、オズワルドが本当は何を考えているのか、観客にはわからないという趣旨の発言をしている。

つまり、彼が本当に幸福なのかどうかは、そもそも映画の中で明かされていない。

エドワードにはエドワードにしかわからない苦しみがある。

でも、オズワルドにもまた、彼にしかわからない苦しみがあるかもしれない。

そう考えると、二人の関係を単純な勝者と敗者として見ることはできなくなる。

ラストで目が合う女性は誰?彼女の存在が意味するもの

そして、ラストのレストランの場面だ。

エドワードは、食事中にある女性と目が合う。

あの女性は、序盤に登場した隣人の男性と一緒に歩いていた女性だ。

隣人の男性は、エドワードと出くわすたびに驚いたような反応をしていた。

そんな彼が女性と親しげに歩いているところを、エドワードは羨ましそうに眺めていた。

しかし、その男性は後に自殺してしまう。

ラストで再び現れた女性は、黒い服装で一人座っている。(喪服みたいなのを着てる)

俺は、この女性の存在が映画のメッセージを大きく変えていると思う。

エドワードは、女性と歩く隣人を見て、幸せそうだと思っていたのかもしれない。

でも、彼は自殺してしまった。

本人がどんな苦しみを抱えていたのか、エドワードにはわからなかった。

そして、残された女性にもまた、他人にはわからない人生がある。

つまり、他人の幸福なんて、外から眺めただけではわからないのだ。

では、オズワルドはどうだろう。

エドワードから見れば、彼は何もかも持っている人間だ。

でも、それは本当にそうなのだろうか。

オズワルドは自分の過去や苦悩をすべて語っているわけではない。

イングリッドとの関係だって、外から見えるほど理想的なものとは限らない。

エドワードは、隣人の幸福を勝手に想像していたときと同じように、オズワルドの人生も理想化していたのかもしれない。

そう考えると、最後にあの女性が登場した意味が見えてくる。

エドワードは、自分の苦しみは他人に理解できないと思いながら、他人の幸福だけは簡単に理解できると思っていたのではないか。

その矛盾に、ようやく気づくきっかけになったのかもしれない。

最後にエドワードが笑った理由|彼は本当に変わったのか

そして、あのラストシーン。

オズワルドがエドワードに、昔からちっとも変わらないという趣旨の言葉をかける。

エドワードは笑う。

最初は、なんとも皮肉な結末だと思った。

顔を変えても、名前を変えても、結局彼の性格は変わらなかった。

消極的で、自信がなく、他人と自分を比較してしまう。

せっかく新しい人生を手に入れたのに、自分から不幸な場所へ戻ってしまった。

それがエドワードという男なのだ。

でも、最後の女性の存在と『青い眼が欲しい』という小説を考えたとき、少し違う解釈が浮かんだ。

もしかすると、エドワードは最後の最後に、本当に変わったのではないだろうか。

あの女性を見て、彼は思い出したのかもしれない。

自分が幸せだと思っていた隣人にも、他人には見せない苦悩があったことを。

『青い眼が欲しい』という小説を。

そして、同じようにオズワルドにも、自分の知らない人生があるということを。

そもそも、自分だって望んで今の顔を手に入れたのだ。

自分の容姿や仕事、これまで築いてきた人生を羨ましく思う人間だっているだろう。

他人の人生を羨んでばかりいても、その人が本当に幸せかどうかなんてわからない。

そんな当たり前のことに、ようやく気づいたのかもしれない。

もちろん、ラストの笑顔をそう解釈するのが正解かどうかはわからない。

変わらない自分を笑っただけかもしれないし、オズワルドの言葉に反応しただけかもしれない。

ただ、俺には、あの笑顔が少しだけ穏やかなものに見えた。

そして、もしそうだったのなら。

「君は変わらない」と言われたその瞬間に、エドワードは初めて変わったことになる。

原題『A Different Man』は何を意味していたのか

原題の『A Different Man』は、直訳すれば「違う男」「別の男」という意味だ。

最初は、顔を変えて別人になったエドワードを指しているように思える。

でも、オズワルドが登場すると意味が変わってくる。

同じような顔を持ちながら、エドワードとはまったく違う生き方をする男。

それがオズワルドだ。

そして最後に、もうひとつの意味が生まれる。

顔を変えた男が、他人を見る視点まで変えられたとしたら。

エドワードは、初めて本当の意味で『A Different Man』になれたのかもしれない。

これが俺の考える、この映画の結末だ。

もっとも、二人とも十分に変わった人間ではあるのだけど。

海外の批評を読んで思ったこと|これは説教ではなく複雑な人間の映画だ

『顔を捨てた男』は批評家から高く評価された一方で、否定的な意見も出ている。

『The New Yorker』のJustin Changは、容姿や自己認識、芸術表現の問題が複雑に絡み合う構造を高く評価していた。

一方、『The Guardian』のAdrian Hortonは、エドワードに次々と苦痛を与える展開が、十分な洞察につながっていないと批判している。

どちらの意見もわかる。

特に、映画があくまでエドワードの視点で描かれている以上、後半の展開を見ていると、彼がただひたすら不幸になる物語にも見えてしまう。

でも、俺はこの映画を説教だとは思わなかった。

むしろ、複雑な人間を描いた作品だと思う。

それぞれが自分なりの価値観で生きていて、その価値観がぶつかることで誰かが不幸になる。

オズワルドは悪いやつじゃない。

イングリッドにも彼女なりの欲望がある。

エドワードが顔を変えたことも、別に間違いではない。

だからこそ、誰か一人を悪者にして終わらせることはできない。

興味深いことに、シンバーグ監督自身も『The A.V. Club』のインタビューで、本作を道徳的な教訓として作ったわけではないと説明している。

顔を変える選択が正しかったのかを示すのではなく、エドワードという人物の経験を描くことが重要だったという。

俺も、その捉え方の方がしっくりくる。

顔を変えたことは間違いだったのか。
オズワルドは本当に幸せなのか。
イングリッドは何を愛していたのか。
エドワードは最後に変わったのか。

この映画は、どの問いにも明確な答えを出していない。

その曖昧さこそが面白い。

まとめ|顔を捨てた男が、最後に変えたもの

エドワードは普通になりたかった。

そして実際に、普通の顔を手に入れた。

ところが、自分が捨てた顔を持つオズワルドが現れたことで、それまで気づかなかった顔の価値を知ってしまった。

自分にもあの顔のままで認められる可能性があったのではないか。

もっと積極的だったら。
もっと才能があったら。
顔を捨てていなかったら。

しかし、そんなことを考えても仕方がない。

そもそも、エドワードとオズワルドは違う人間なのだから。

それに、オズワルドが本当に幸せかどうかもわからない。

彼には彼の人生があり、エドワードにはエドワードの人生がある。

そして、エドワードが手に入れた普通の顔だって、誰かにとっては憧れの容姿。

『青い眼が欲しい』という小説の存在は、そうした美しさの基準がいかに相対的で、時に残酷なものかを示しているように思う。

俺は、エドワードが顔を変えたことを間違いだったとは思わない。

ただ、変えた後の人生を自分で否定してしまったことは、悲しいと思う。

そして、そこから離れられなかった彼自身にも問題はある。

それでも、最後の笑顔には少しだけ希望を感じた。

自分の苦しみは誰にもわからない。でも、他人の苦しみだって自分にはわからない。

もしエドワードが、そのことに初めて気づいたのだとしたら。

彼は顔を変えたときではなく、最後の最後に本当の意味で別人になれたのかもしれない。

そう考えると、この映画の原題『A Different Man』が、実によくできているように思う。

人は変わっても、昔の自分が死ぬわけじゃない

この映画を観ていて思ったのだが、こういうことって案外身近にもあるんじゃないだろうか。

もちろん、エドワードのように顔を大きく変えるような話ではない。

例えば俺には弟がいる。

俺たちは昔から二人ともオタク趣味を持っていて、同じようなものを楽しんできた。

でも、俺は成長するにつれて、少しずつオタク趣味から離れていった。

友達ができて、恋人ができて、昔とは違うことに時間を使うようになった。

弟から見れば、俺は変わってしまったように見えるかもしれない。

でも、別にオタクだった頃の俺が死んだわけじゃない。

今でも映画やゲームは好きだし、こうして「ぜんあく無雑記」というブログで好きなことを書いている。

昔の俺は、今の俺の中にちゃんと生きている。

そして面白いのは、俺自身が昔の自分を羨ましく思うこともあるということだ。

弟はもしかすると、オタク趣味から離れて友達や恋人ができた俺のようになりたいと思うことがあるかもしれない。

でも、俺は俺で、昔のように一つの趣味に夢中になれた頃の情熱を取り戻したいと思うことがある。

今の弟が持っているものを、俺が羨ましく感じることだってあるわけだ。

お互いに相手の持っているものを羨んでいるとしたら、なんともおかしな話じゃないか。

そして、これはエドワードとオズワルドにも通じると思う。

エドワードは普通の顔になりたかった。

でも、普通の顔になった途端、今度はかつて自分が持っていたものを羨むようになった。

オズワルドにもまた、エドワードの知らない憧れや後悔があるのかもしれない。

俺と弟の話を、エドワードが経験してきた容姿の問題と同じ重さで語るつもりはない。

ただ、人間は自分が持っていないものを羨み、自分が持っているものの価値には案外気づけないという点では、似たところがある気がする。

それに、変わったからといって、それまでの自分が消えてしまうわけでもない。

昔の自分も今の自分も、どちらも自分なのだ。

他人から見れば羨ましい人生でも、本人にしかわからない後悔がある。

逆に、自分が羨ましいと思っている相手にも、きっと何かしらの苦悩がある。

結局のところ、他人の人生なんてわからない。

自分の人生ですら、何が幸せだったのか、後になってみなければわからないし。

だから俺は、エドワードが最後に笑ったことに、少しだけ希望を感じたのかもしれない。


『顔を捨てた男』の配信はどこ?VOD視聴方法

映画『顔を捨てた男』は、動画配信サービスでも視聴できる。

2026年11月時点で確認できた主な配信状況は次のとおり。

サービス配信状況
U-NEXT見放題
Amazon Prime Video見放題
Netflix見放題
Huluストアレンタル
DMM TVレンタル

現在の配信状況は各動画配信サービスでご確認ください。
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本作は、一度観ただけではわからない部分も多い。

俺自身、ラストの女性や青い目の意味を考えているうちに、もう一度見直したくなった。

特に『青い眼が欲しい』という小説は序盤から登場しているので、再鑑賞するなら注目してみると面白いと思う。

俺は結構刺さった作品だった。

なお、俺はNetflixやPrime Videoも使っているけど、普段一番気に入っているVODはU-NEXTだ。

その理由は別の記事でも詳しく書いている。

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