(画像は 映画:「廃用身」公式サイトより)
映画『廃用身』を映画館で観た。
私はこの映画を観る前に、久坂部羊の原作小説『廃用身』を読んでいる。
以前にも小説を先に読んでから映画を観た作品について書いたことがあるんだけど、今回も同じ。
原作を読んでから映画館へ行った。
まずこれだけは言わせてほしい。
小説がおもしろすぎる。
そして、小説が読みやすすぎる。
ここでいう「読みやすい」は、文章が簡単とか、ページ数が少ないとか、そういう意味ではない。
『廃用身』という話の見せ方がめちゃくちゃ分かりやすいのだ。
その状態で映画を観た。そして観終わって思った。
「そこをそう読んだのか……」
映画がつまらなかったわけではない。
むしろ映画館で観てよかったと思う画もかなりある。
ただ、私と𠮷田光希監督では、原作『廃用身』のどこを一番おもしろいと思ったのかが、どうも違うらしい。
今回はその話をしたい。
映画『廃用身』とは
『廃用身』は、医師でもある久坂部羊が2003年に発表した小説デビュー作。
2026年に𠮷田光希監督・脚本、染谷将太主演で映画化された。
主人公は、老齢期医療に携わる医師・漆原糾。
「廃用身」とは、麻痺などによって動かなくなり、回復の見込みがない手足のことを指す。
漆原は高齢者の介護現場に接する中で、
使えなくなった手足そのものを切断すれば、患者本人も介護する側も楽になるのではないかと考える。
それが作中で「Aケア」と呼ばれるものだ。
まあ簡単に言えば、老人の動かない手足を切る話である。
ヤバい。
しかも映画は、その発想を単純なホラーとして見せるわけではない。
「本人が望んでいるなら、それは治療なのか?」
「身体の一部を失うことで生活が楽になるなら、それは悪いことなのか?」
という、かなり嫌なところを突いてくる。
公式サイトでも、本作は異人坂クリニックで広まる治療をきっかけに、漆原や患者たちを巡る状況が暗転していくヒューマンサスペンスとして紹介されている。
ネタバレなしで言うと、映画としてはかなり好きだった
原作と映画の解釈については、このあと散々文句を書く。
ただ先に言っておくと、映画そのものが嫌いだったわけではない。
むしろ画はかなり好き。
妙に整っているのに不穏で、「なんか嫌なこと起きそうだな」という空気がずっとある。
染谷将太も当然めちゃくちゃ上手い。
ただ私は原作を読んでいたので、一つだけかなり早い段階から引っかかった。
漆原、最初から怪しすぎない?
ということ。
私が原作から想像していた漆原は、もっと普通に話せて、外面もよくて、人がついてくる男だった。
だからこそAケアも広がった。
一度こちらが、「この人の言ってること、分かるかも」と思ってしまう。
映画の漆原は、その時点でもうちょっと怖い。
この違いが、最後まで私の中に残った。
ただ、この辺から話し始めると原作も映画も普通にネタバレする。
ここから先は映画『廃用身』だけでなく、原作小説の内容にも触れる。
まだ映画を観ていない人は、先に観てから戻ってきてもらった方がいい。
配信状況(2026年9月16日確認)
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※配信状況は変更される場合があります。
Aケアが正しいかなんて「分からない」
映画を観ていると、「本人が望んでいるなら、動かない手足を切ってもいいのか?」ということを当然考える。
実際に身体がうまく動かない老人がいる。
介護されている。
排泄まで自分ではどうにもならない。
クソも漏らす。
それを映像で見せられると、小説以上に老人側へ肩入れしてしまう。
「そりゃ、本人からしたら切ってくれと思うこともあるよな」とも思う。
だからAケアは本当に間違っているのか。
分からない。
高齢者ではない私でも、「周囲に迷惑をかけたくない」という気持ちはかなり強く分かる。
じゃあ、そのためなら手足を切っていいのか。
たぶん、「分からない」が正解なのだと思う。
ただ、私は小説『廃用身』を、そこが一番おもしろい作品だとは読まなかった。
私がおもしろかったのは、
漆原本人が思っている漆原と、他人から見た漆原が全然違うこと。
そして、その違いによって漆原自身まで崩れていくことだった。
原作では、一度ちゃんと漆原を信用してしまう
原作の前半では、漆原本人が書いた文章を読む。
だから当然、読者はまず漆原から見た漆原を見ることになる。
私は普通に、「おぉ! すごい!」と思った。
Aケアという発想に驚く。
問題も起こる。
反対している看護師もいる。
漆原自身が悩んでいることも書かれている。
それでも、その時点で私から見えていた漆原は、
今の老人医療をなんとか変えようとしている医者だった。
途中では、「これ小説? いつまで続くの? こいつの話だけで終わり?」とも思った。
でも、ここが後から効いてくる。
小説の後半になると、今度は編集者などを通して、外側から見た漆原が入ってくる。
漆原は別に嘘をついていない。だからおもしろい
ここが私にとって『廃用身』最大の味噌だった。
後半になって、「実は漆原が全部嘘をついてました!」なら簡単なのだ。
騙されてました。
以上。
でも、そうじゃない。
前半の漆原の文章に、決定的な嘘があるわけではない。
反対されたことも書く。
トラブルも書く。
自分が苦悩していることも書く。
それを全部読んだうえで、私は一度漆原に納得している。
ところが外側から見ると違うものが見えてくる。
患者思いの医師。
でも、前にいた病院の奴らを見返したい。
見栄もある。
不倫もする。
別に医療だけを考えて生きている聖人ではない。
フツーのやつなのだ。
だから私の感想は、「騙された!」ではなかった。
「なるほど、こう崩れるのか」だった。
患者を救いたい医師・漆原も嘘ではない。
見栄っ張りで俗っぽい漆原も嘘ではない。
どっちも同じ漆原だった。
人を動かしていた漆原が、最後には他人から作られた漆原に飲まれる
漆原はAケアについて説明する。
患者に納得してもらう。
周囲へ広げていく。
言葉が悪いかもしれないが、ある意味では他人を扇動する側だった。
ところが途中からマスコミが入ってくる。
今度は、「老人の手足を切る医者」という漆原像が、本人の知らないところで作られていく。
ずっと人を動かしていたはずの漆原が、今度は他人の言葉によって自分を見るようになる。
「俺は本当に正しかったのか」
から、
「そもそも俺って何なんだ?」
くらいまで崩れていく。
私はここが小説『廃用身』の一番おもしろいところだった。
映画だけ観た人には、むしろ原作を読んでみてほしい。
映画の漆原とは、かなり違って見えると思う。
映画の漆原は、最初からマッドすぎる
ところが映画版。
漆原を演じるのは染谷将太。
染谷将太なのである。
上手い。
めちゃくちゃ上手い。
ただ、最初から怪しすぎる。
独特の含みがある。
演技だけじゃない。
構図もカメラも、映画全体が漆原に妙な不穏さを与えている。
だから観ている私は、「この医者……大丈夫か?」から入る。
ずっとマッドサイエンティストなんだよね。
制作側は漆原を単純な悪人として作っているわけではない。
むしろ映画公式の紹介でも、漆原は理想を追い求める医師として描かれている。
分かる。
分かるんだけど、
私には怖く見えすぎた。
私はもっと「外面のいい漆原」を想像していた
原作を読んだ私は、もっと外面のいい男を想像していた。
映画ではカットされていたが、漆原は海外で医療に携わっていた頃から、人に認められるような妙なカリスマ性を持った人物として見える。
話せば納得してしまう。
なんか妙に説得力がある。
人がついてくる。
だからこそAケアも広がる。
あんな仏頂面なわけがない。
少なくとも私の頭の中の漆原はそうだった。
一度、「この人の言っていること、分かるな」
と信用したからこそ、後から外側から見た時に効く。
映画みたいに最初から、「こいつ絶対なんかあるだろ」と見せられてしまうと、人物像が崩れてきても、「ほら、やっぱりなんかあったじゃん」になってしまう。
私はそこがかなり惜しかった。
不倫を消すなら、怪文書も消してくれ
映画では、原作にあった漆原の不倫など、俗っぽい部分がかなり整理されている。
それ自体はいい。
映画には尺がある。
何でも原作通り入れればいいとは思わない。
ただ。
だったら、あの怪文書も消してくれ。
映画では漆原のもとに妙な文書が届く。
原作を読んでいる私は、その周辺に何があるのか分かる。
でも、そこにつながる人物関係をかなり削っているので、映画だけ観ると怪文書が妙に宙ぶらりんに感じた。
何だったんだよ、あれ。
モヤモヤするだろうが。
しかも私にとって、不倫は単なるサブエピソードではない。
患者のことだけを考えている超人ではなく、
前の病院の連中を見返したいし、不倫もするフツーの人間
だったことまで含めて漆原なのだ。
映画ではそこがかなり綺麗になったことで、逆に「Aケアに取り憑かれた特殊な医者」に見えてしまった。
それでも原作と同じ構造で映画化しなかった理由は分かる
じゃあ、
「前半は漆原目線、後半は他人目線で、そのまま映画にすればよかったじゃん」
となる。
でも、それも少し違うと思っている。
原作の、
漆原本人から見た漆原
→ 他人から見た漆原
という構造を映像でそのままやると、かなり「どんでん返し」っぽくなる。
ここで私が思い出したのが綾野剛主演の『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』。
『でっちあげ』は、同じ出来事を違う視点から見せること自体が大きな仕掛けになっている。
『廃用身』も同じ構造にすると、
「前半で見せていた漆原は実は……!」
みたいな映画になりかねない。
でも私は原作『廃用身』を、そんな話として読んでいない。
漆原が隠していた真実を暴く話ではない。
ただ視点が増えただけなのだ。
でも視点が増えただけで、同じ人間が全然違って見える。
そこがおもしろい。
だから映画版が原作の構造をそのまま再現しなかった気持ちはかなり分かる。
私だって『廃用身』を『でっちあげ』にしてほしかったわけではない。
それでも「自分と他人から見た自分のズレ」は残してほしかった
映画がどんでん返しを避けた。
そこはいい。
むしろ納得している。
ただ、
どんでん返しを避けることと、漆原の自己認識と他人から見た漆原のズレまで薄くすることは別じゃないか?
とも思う。
もう少しだけ、
「漆原本人が思っている自分」と、「他人が見ている漆原」に差があってもよかった。
そこが残っていれば、
Aケアは正しいのか?
だけではなく、「自分って結局、誰が決めるんだろう」という原作の気持ち悪さも映画に残った気がする。
それでも映画館で観てよかったと思う
ここまで文句ばっかり書いている。
ただ、映画として好きだったところもちゃんとある。
特に画。
A24っぽい不穏な画はかなり好き
妙に整っているのに不穏。
そういう画がかなり多い。
なかでも印象的だったのが、切断した廃用身を漆原が持っている場面。
なんというか、パサパサの切り株みたいなのである。

(画像は映画.com廃用身ページより)
あれは強かった。
一発で覚える。
しかも切断そのものをやたら細かく見せて煽るわけでもない。
原作の読み取りについては私はかなり違ったけど、
映画としてどう見せるか
についてはかなり好きだった。
漆原がやたら走る
そして、この映画では漆原が妙によく走る。
正直、「分かりやすすぎない?」とも思った。
身体を自由に動かせない老人たち。
それに対して、自分の身体を好きなように使って走る漆原。
Aケアそのものが身体についての話なので、その対比を画にしたいんだろうなとは思う。
わざとらしい。
でも分かりやすい。
私は嫌いじゃない。
異人坂クリニック、ちょっと綺麗すぎない?
ロケーション自体はかなりそれっぽい。
古い病院を改装したような建物で、私が原作を読んで想像していた異人坂クリニックにも近い。
ただ、なんか中がこざっぱりしすぎている。
小道具なのか。
生活感なのか。
高齢者が毎日通って、職員が働いて、いろんな人間の生活が積み重なっている場所にしては妙に整っている。
私の頭の中では、もうちょいゴチャッとしていた。
これは完全に好みだけどね。
原作と映画では、ラストの感触も全然違った
そして一番大きく違ったのがラスト。
原作を読み終えた時、私は、「あと少しだったのに……」と思った。
漆原より、むしろ記者の方にかなり感情移入していた。
最初は普通に見ていた人間が、周囲から情報を与えられ、漆原を疑い、どんどん追いかけていく。
煽動って怖いな。
と思う。
でも、「いや待て」ともなる。
漆原だってAケアを説明して人を動かしていた。
じゃあ漆原は完全な被害者なのか。
それも違う。
悪人なのか。
それも違う。
なんとも言えない。
私はこの何とも言えなさが好きだった。
映画は「でもAケアって正しかったのかも」に見えた
映画版は、私には少し違って見えた。
かなり乱暴に言うと、
「漆原、悪いやつだと思ったでしょ? でもAケアって実は正しかったのかもよ」
という方向に着地したように感じた。
もちろん映画は「Aケアは正しい」と断言しているわけではない。
だから映画の狙いも分かる。
ただ私は、
その問い、原作を読み終わった時にはそんなに中心じゃなかったんだよな
と思ってしまった。
私と監督では、この小説のおもしろかった場所が違う
𠮷田光希監督は、学生時代に原作と出会ってから約20年、この映画化企画を温めてきたと公式サイトでも紹介されている。
だから、「監督が原作を分かってない」なんて話ではない。
むしろ、とんでもなく読んでいる。
それでも私は映画館で、「いや、漆原もっと外面よかっただろ!」と思っている。
まあ、そういうこともある。
むしろ映画化のおもしろさって、そこなのかもしれない。
同じ小説を読んでも、「この作品の何がおもしろいのか」によって出来上がるものはここまで変わる。
私は原作『廃用身』を、「Aケアは正しいのか?」という話として一番強くは読まなかった。
私がおもしろかったのは、
漆原が思っている漆原と、他人から見た漆原がズレていること。
そして、
他人を動かしていた人間が、最後には他人から作られた自分に飲み込まれていくこと。
映画は原作の構造をそのまま使って、安っぽいどんでん返しにはしなかった。
そこは分かる。
かなり分かる。
でも、それでも私はもう少し、「漆原って結局どういう人間だったんだろう」という原作の気持ち悪さを残してほしかった。
映画館で『廃用身』を観て、改めて思った。
やっぱり小説『廃用身』、おもしろすぎる。
映画でモヤモヤした人には、むしろ原作を読んでみてほしい。
同じ『廃用身』なのに、漆原という人間がかなり違って見えるはずだ。
そして、
「そこまで言うなら映画版の漆原を自分で見て判断したい」
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配信状況(2026年9月16日確認)
Prime Video:○ レンタル・購入
U-NEXT:―
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Apple TV:―
※配信状況は変更される場合があります。
